玉の、重さ
弟子入りの年、考えるなと言われた日

タチハラスズ(30歳・組紐職人8年)

組紐を組む台を、丸台という。丸い盤の中央に穴があいていて、その縁に糸玉を掛ける。玉というのは、糸を巻いた木の軸に、おもりを付けたものだ。何十本もの糸が、何十もの玉になって、台の縁にぶら下がっている。決まった順で、その玉を右から左へ、左から右へと移していく。ただそれだけのことで、穴の下から一本の紐が、ゆっくりと生まれてくる。糸が紡ぐ絆を、手の中で確かめるような時間だった。

弟子入りしたのは二〇一八年、二十二歳の春だった。最初の数ヶ月は、組ませてもらえない。下ごしらえばかりだ。糸を染めて、撚りをかける。撚りが甘ければ紐がだれるし、強すぎれば固くなりすぎる。その加減を、師匠は数字では教えてくれなかった。「指で覚えろ」とだけ言った。

初めて丸台の前に座った日のことは、よく覚えている。工房には糸と蝋の匂いが静かに満ちていて、窓の外では春の雨が降っていた。師匠は私の隣に座って、玉を一つ、ゆっくりと移して見せた。「見て覚えるな」と師匠は言った。「手順を覚えるな。リズムを覚えろ。組紐は手の踊りだ。止まって考えたら紐に出る」。

その意味を、私はしばらく考えていた。手の踊り、という言葉が、きれいすぎて怖かったのだと思う。けれど実際に玉を移し始めると、すぐに分かった。一つの玉をどこへ置くか迷った瞬間、手が止まる。止まると、次の一手に力みが入る。その力みが、組み目に出る。組み上がった紐をあとから見ると、私が迷った場所だけ、目が詰まっていたり、緩んでいたりする。

師匠は組み目を指でなぞって言った。「ここで電話が鳴っただろう」。当たっていた。組み目の乱れは、迷いの記録なのだった。どこで気が逸れたか、どこで誰かに呼ばれたか、紐は全部おぼえている。嘘がつけない。手が考えてしまった場所が、そのまま残る。

帯締めを注文する人は、硬さにうるさい。締めやすさは硬さで決まるからだ。柔らかいのが好きな人、かちっと張るのが好きな人。同じ柄でも、撚りと組みの詰めかたで硬さは変わる。お客さんの好みの硬さを、私はまだ手で出せなかった。師匠の組んだ帯締めは、どれも艶があって、芯が通っていた。

近頃は、洋装向けの注文も増えた。ブレスレットやストラップ。伝統工芸にも、現代の客がいる。長い一本を組む日は、集中の配分が難しい。一日では組み上がらないから、途中でやめる。やめた場所も、紐はおぼえている。だから、切りのいいリズムの区切りでやめる。続きから、同じ踊りに入れるように。

あの日から八年がたった。いまでは私も、誰かの組んだ紐を見て、どこで電話が鳴ったか分かるようになった。手が踊っているとき、私は何も考えていない。考えていないのに、間違えない。それがいちばん、組めている時間だ。リズムが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。台の上の玉は、今日も静かにぶら下がっている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。