リンメイファ(台湾出身)
台湾の食卓には、独特の時間感覚が流れています。子供の頃、お腹が空いて台所を覗くと、母はいつも「等等再吃」(タンタンザイチャイ)と言いました。「ちょっと待って、それから食べなさい」という意味です。父が帰るまで、兄や妹が揃うまで、食卓は完成しません。たとえ料理が冷め始めても、温め直せば良い。家族全員が顔を合わせ、同じ瞬間に箸を取ることこそが、一日の終わりを締めくくる大切な儀式だったのです。その待つ時間には、今日あった出来事を話し合ったり、お互いの顔を見つめたりする、穏やかな交流がありました。食事は単なる栄養補給ではなく、家族の絆を確かめ合う時間、共同体の中心を成すものでした。
日本で暮らすようになって、私は「先に食べてて」という言葉によく出会います。共働きの友人の家で、あるいは忙しい日の夕食時。誰かが遅くなる時、子供たちが早くお腹を空かせている時、日本の母たちは躊躇なく「先に食べてて」と声をかけます。「あなたはもうお腹が空いているでしょうから、待たずに食べなさい」という、その裏にある気遣いを私はすぐに理解しました。そこには、個々の時間を尊重し、不必要な制約をなくそうとする合理性と優しさがあります。皆で揃って食べることに固執するよりも、各自が快適に、そして効率的に食事を済ませることを優先する。これもまた、一つの愛情の形なのだと感じました。
二つの言葉は、それぞれの社会が育んできた家族観を映し出しているように思います。台湾の「等等再吃」が示すのは、家族という最小単位の共同体において、共に過ごす時間の価値、一体感を重んじる姿勢です。食卓は、単なる食事の場所ではなく、家族が集う聖域であり、そこでの時間共有が何よりも大切にされます。一方、日本の「先に食べてて」は、個人の生活リズムや状況への配慮、他者に負担をかけないという美意識が根底にあると感じられます。個々が自律的に動きながらも、互いを思いやる心が行き交う。どちらも家族を思う気持ちに変わりはありませんが、その表現の仕方は対照的です。
私自身、二つの文化の間で育った経験から、どちらの言葉にも深い意味があることを理解しています。台湾の食卓で皆を待つ時間には、言葉にならない安らぎがありました。そして日本の食卓で「先に食べてて」と言われた時には、忙しい日常の中で自分のペースを許されたことへの感謝を感じました。どちらが正しい、間違っているという話ではありません。ただ、私たちが無意識のうちに口にする言葉一つ一つに、文化や歴史、そして人々の価値観が深く刻まれていることに、改めて心を動かされます。
食卓を囲むとは、単に食べ物を分かち合うだけではありません。そこには、見えない文化の糸が何重にも織り込まれています。言葉は、その糸の存在をそっと教えてくれる道標なのかもしれません。私たちは、それぞれの場所で、それぞれの言葉と共に、温かい食卓の風景を紡ぎ続けているのです。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。