タカギフミオ(53歳・時計店主28年)
店の一日でいちばん多いのは、数百円の電池交換だ。止まったクオーツを置いて、「電池ですかね」と言う。たいていは電池だ。裏蓋を開けて、抜いて、入れる。きっちり五分。歩度なら一日プラスマイナス何秒と数字が出るが、この五分は、文字どおり五分しかかからない。短いから、軽く見られる。私は二十八年、その軽い五分でめしを食ってきた。
裏蓋は二種類。溝を切ってオープナーで回すスクリュー式と、縁に爪を差してこじ開けるこじ開け式だ。こじ開け式は、ベルトとケースの隙間に、爪先ほどの切り欠きがある。そこに刃を当てて、てこで持ち上げる。手応えで、開く寸前がわかる。新人の頃、力任せにやって刃を滑らせ、ケースに傷を一本入れた。客の前で。あの冷やりは、いまも手が覚えている。だから今は、開く寸前で一拍止める。
抜いた電池を、まずルーペで覗く。腹に刻印がある。油で曇っているのを、文字盤の蛍光灯に傾けて読む。SR626SW。径と高さが合っていないと、半年で止まるか、液漏れで端子を腐らせる。引き出しから同じ番号を出し、もう一度、抜いた一個と腹を合わせる。横着すれば一秒縮むが、その一秒の代償が大きいことを、新人の頃に覚えた。
替えるあいだ、客はカウンター脇の丸椅子で待つ。座面の革は、もう艶が出ている。客の五分の過ごし方には、ショーケースを一本ずつ見る人、外へ空気を吸いに出る人、私の手元を覗き込む人——だいたい三つの型がある。だが先週来た男は、覗き込みながら、足だけが外を向いていた。見たいのか帰りたいのか、本人もわからないようだった。型に入らない客のほうを、私はよく覚えている。
覗き込む人には、手元を見せる。隠さない。裏蓋を傾けて中身が見えるようにして、「これが電池です、これがパッキンですね」と言いながら進める。隠された五分は長く、見えている五分は短い。だから覗く手の前では、わざとゆっくり動かす。中で何をされているかわからない不安を、人は時間の長さとして感じる。それを知っているから、私は手を速めない。
電池のついでに、パッキンを見る。裏蓋とケースの間の黒いゴムの輪だ。指で押して、痩せて硬くなっていれば、防水はもう効いていない。「手を洗うときは外したほうがいいですよ」と言う。気にする人には、その場で防水試験機にかける。減圧して気密を見る、五分の仕事だ。無料でやる。電池交換が呼び水になって、ここで初めて「そういえば、ちょっと遅れるんだよね」と切り出す人が多い。歩度の相談だ。数百円のクオーツの裏で、機械式の話が始まる。
替え終われば、領収書を書く。但し書きは「電池交換代」。九百円。親父は八百円で通していたのを、二十年前に百円だけ上げて、それきり上げていない。量販店は千円のところもあるが、客が見ているのは、その百円ではない。開けた裏蓋の中を、私がどこから覗くか。パッキンに指を当てる順番。客の目は、私の目を見ている。それで九百円が通る。
止まった時計を持ってくる人を、二十八年見てきた。電池交換の五分は、その人をいちばん近くで見られる五分でもある。たった数百円のこの五分があるから、人は次の一言を口にできる。「ちょっと遅れるんだよね」。私はその一言を待って、今日も裏蓋を開ける。ぱちん。