ケレンの、音
塗装工一年目、錆の残りの観察者になるまで

タカナシイツキ(38歳・橋梁塗装工18年)

橋を塗る仕事を十八年続けている。塗ると言っても、塗料を刷毛で乗せるのは最後の一割だ。残りの九割は、落とす作業——古い塗膜と錆を、ケレンと呼ばれる素地調整で剥がしていく。塗装とは化粧ではない。鉄を百年生かすための、皮膚を一枚張り直す仕事だ。そう胸を張って言えるようになるまでに、ずいぶんかかった。

二〇〇八年、二十歳の春に、橋梁塗装の会社に入った。最初の現場は、川をまたぐ古い鋼橋の塗り替えだった。橋全体を足場で囲い、防護シートで包んでしまう。外から見ると、橋が大きな繭になる。その繭の中で、何ヶ月もかけて、橋の皮膚を入れ替えるのだ。

親方は無口な人だった。入ってすぐ、ケレンの工具を渡されて言われた。「塗るのは最後の一割だ。九割はケレンで決まる。錆を一つ残せば、そこから橋が死ぬ」。最初は、大げさだろうと思っていたかもしれない。塗料を厚く乗せれば錆など封じ込められる、そんなふうに、若い頃の私は考えていた気がする。

素地調整には等級がある。電動工具で錆を削り落とす段階から、ブラストで鉄の地肌まで一気に剥き出しにする段階まで、錆の落とし方には階級があるのだ。重要な部材ほど、上の等級が求められる。私は最初、その違いがわからなかった。ワイヤブラシを当てた鉄の表面が、どこまで落ちていれば「落ちた」ことになるのか、目で見てもわからなかった。

塗膜の厚さも、管理される。膜厚計という道具を当てて、数字を読む。薄すぎれば鉄を守れない。厚すぎても、かえって割れて剥がれる。下塗り、中塗り、上塗りと層を重ねていくのだが、それぞれに設計された厚さがあって、その層の設計を守らなければならない。塗装は、ただ色を乗せることではなかった。数字で管理される、層の建築だった。

川の上の吊り足場は、いつも揺れていた。風が吹くたびに、足の下の鋼板がわずかに動く。安全帯のフックを掛け替えながら、手すりのない場所を移動する。怖くなかったと言えば嘘になる。だが、足場の風に体を慣らしていくうちに、揺れの中でも手元だけは止められるようになっていった。職人とはそういうものだと、私は信じていたのだと思う。

養生も、塗装の一部だった。剥がした塗膜や錆の粉、飛散する塗料の霧を、川にも下の道路にも一滴も落とさないように、シートで橋を包み込む。橋を守る仕事は、同時に、橋の下を流れる川を守る仕事でもあった。繭は、外を汚さないための繭でもあったのだ。

ある日、検査で先輩が橋の塗膜を打診していた。小さなハンマーで叩いて、音を聞く。詰まった音か、浮いた音か。そして膜厚計を当てて、数字を確かめる。先輩が古い塗膜を剥がした断面を見せてくれた。そこには、色の層が幾重にも積み重なっていた。灰色、緑、また灰色、赤錆色の下塗り。何十年前の塗装の層が、地層のように残っているのだ。橋は、塗り替えるたびに、自分の歴史を皮膚の下に畳み込んでいた。

あれから十八年。私はずっと、錆の残りの観察者であり続けてきた。塗膜のわずかな浮き、ケレンの取り残し、膜厚の足りない一点。それを見つけ続けることが、私の仕事になった。親方の言葉の意味が、いまならわかる。錆を一つ残せば、そこから橋が死ぬ。あの最初の現場で叩いたケレンの音が、私をいまの私にしてくれた。今日も足場の上で、私は錆の残りを探している。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。