タカナシイツキ(38歳・橋梁塗装工18年)
海の上の橋を塗っている。川をまたぐ橋とは、錆の進み方が桁違いだ。海と闘う男たちの現場、と言えば聞こえはいいかもしれない。だが実際にやっていることは、もっと地味で、もっと執拗だ。塩を相手に、塩を落とし、塩が来る前に塗り重ねる。それだけのことを、何ヶ月も続けている。
飛来塩分、という言葉がある。海風が運んでくる塩の粒が、鉄の表面にどれだけ付くか。それを測る試験がある。ガーゼのようなものを鋼面に一定時間貼って、付いた塩分を洗い出して量を読む。内陸の橋では問題にもならない数字が、海上橋では桁が二つ違うこともある。同じ鉄なのに、置かれた場所で寿命がまるで変わる。それを最初に数字で見せられたとき、私は少し怖くなったのだと思う。
塗る前に、洗う。これが川の橋とはまったく違う工程だ。高圧の水で、鋼面に付いた塩分を洗い流す。圧は強い。手元が持っていかれそうになる。なぜそこまでするのか。塩が付いたまま塗ってしまえば、塗膜の下に塩を閉じ込めることになるからだ。塩は水を呼ぶ。塗膜の内側で塩が水を呼べば、そこから膨れ、浮き、剥がれる。きれいに塗れたように見えて、内側から橋が死ぬ。閉じ込めて塗る——それがいちばんやってはいけない失敗なのだろう。
洗ったあと、塩分が基準値まで落ちたかを、また測る。落ちていなければ、もう一度洗う。塗りたい気持ちを抑えて、洗い、測り、洗う。塩の見えない現場で、見えない塩を相手にしている。海と闘うというのは、たぶんこういう静かな繰り返しのことなのだ。
重防食塗装、という仕様がある。海上橋には、川の橋よりずっと多い層を塗り重ねる。地肌に近い層は、鉄に食いついて錆を止める役。その上は、塩や水を通さない遮断の役。いちばん外の層は、紫外線と波しぶきに耐えて、下の層を守る役。一層ずつに役割があって、どれか一層でも手を抜けば、全体が意味を失う。何層も重ねるのは、念のためではない。一枚ずつが、別の仕事をしている。
海峡の風は、川の上の比ではなかった。足場の防護シートが、帆のように風を孕む。風速がある基準を超えると、作業は中止になる。塗料が飛ぶし、足場ごと持っていかれる危険がある。風速計の数字を見て、今日は上がれない、と親方が言う日がある。海の上では、人間の都合では仕事が進まない。風が許した時間だけ、私たちは鉄に触れることができる。
潮の干満も、作業を支配した。桁の下のほうを塗るとき、満潮では海面が近すぎて足場が組めない。引き潮を待って、海面が下がった時間に下げて作業する。潮待ち、という。同じ場所なのに、朝と夕方で海面からの距離が変わる。陸の現場では、地面は動かない。海の上では、足元の高さが時間で変わる。私はその時間割に、自分の体を合わせていった。
海からは、よく見られた。観光航路のフェリーが、橋の下をくぐっていく。漁船が、足場のすぐ下を通る。甲板の人がこちらを見上げているのがわかる。陸の橋では、塗装の現場を真下から見上げる人はいない。海の上では、橋は風景の一部で、その風景を塗っている私たちもまた、見られている。だから景観への配慮がうるさく言われるのも、海から見られているからなのだろう。
塗り立ての橋桁に、その日の夕方、潮風が当たった。塩を落とし、塩が来る前に塗り終えた面に、また塩を含んだ風が吹きつける。これからこの塗膜は、何十年もこの風と付き合っていく。塩との戦いが、海上橋の塗装なのだ。私は塗り終えた桁を、海からの視線を背中に感じながら、もう一度見上げた。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。