テガタユウト(36歳・義肢装具士13年)
義肢装具士になって十三年。失われた部分の形を、もう一度作り直す仕事だ。義足、義手、コルセット、インソール。人の体から型を取り、その型から道具を起こす。型を取ることを採型といい、そこからすべてが始まる。
採型には石膏包帯を使う。ぬるま湯にくぐらせた包帯を、断端——切断された側の先——に巻く。数分で固まって白い陰画になり、そこへもう一度石膏を流すと、断端そっくりの陽の型が立ち上がる。最初に覚えるのは、この手つきだ。爪の間に入った白い粉は、その日のうちには取れなかった。
二〇一三年、製作所に入った年。私は採型をきれいに取った。形が断端と寸分違わないことに、満足していた。先輩は固まったばかりの私の型を裏返し、断端のどこに当たる面かを指で確かめてから、置いた。「形を写すな。体重のかかり方を写せ。型は止まってるが、人は動く」。
形だと思っていた。断端の輪郭を正確になぞれば良い型だと、私は思い込んでいた。先輩は断端の図に指を置いた。義足の上に立つと、体重は全面に均等にはかからない。骨が皮膚を内から押す場所、避けるべき神経の道、預けてよい固い面。立った時と踏み出した時で、その地図は変わる。採型とは寝た姿の断端を写すことではなく、その人が立ち、歩くときの荷重を、止まった石膏に予測して込めることだった。
型から起こした受け口を、ソケットという。この適合が腕のほとんどすべてだ。患者が体重をかけ、「ここが当たる」と言う。私はまず患者の指でその点を押させ、内面にマーカーで当たりを記す。印をソケットに転写し、その範囲を、削り代を見ながらヤスリで落とす。半回転、確かめ、また半回転。削りすぎれば緩み、体重が別の場所へ逃げて、また当たる。足せない。引き算しかできない仕事だ。
仮合わせは平行棒のある部屋でやる。患者が手すりにつかまって一歩を踏み出す。横で理学療法士が膝の伸び、腰の落ちを見ている。私たちは見ているものが違う。療法士は動作を見て、私は荷重を見る。義足が床に着いた瞬間、ソケットのどこに体重が乗り、断端のどこが押されるか。歩く人の体の中を、外から想像する。
義足は仕事の数でいえば少ない。腰のコルセット、側弯の装具、靴に入れるインソール。地味な装具のほうが、桁違いに多い。子どもの義足もある。同じ子の型を、年ごとに取り直す。前回より断端が二センチ伸び、去年の型と並べるとひと回り小さい。足のサイズが変わったので足部も換える。喜ばしいとか悲しいとかではない。背が伸びたから、また採型からやり直す。それだけだ。
完成した義足で患者が最初の一歩を踏むとき、私は少し離れて立つ。拍手はしない。私が見ているのは、足が着いた瞬間にソケットが浮かないか、体が傾かないか、その一点だ。十三年、私は荷重を見る位置に立ち続けている。「型は止まってるが、人は動く」。先輩のあの一言を、いまも手が覚えている。爪の間の白い粉は、毎日洗っても、少し残る。