雨の、段取り
雨の日の造船所、溶接と湿気のいくさ

テラウチジン(49歳・造船所の溶接工27年)

雨の朝は、目覚ましより先に音で分かる。屋根を打つ雨の音がいつもより太いと、ああ今日は段取りが変わるな、と布団の中で思う。雨に負けない男たちの一日が、また始まるのだ。

溶接は、濡れた鉄板にはできない。これは精神論ではなく、理屈の話だ。母材の表面に水気があると、溶けた鉄の中に水素が溶け込んでしまう。鉄が冷えて固まるとき、その水素が逃げ場を失って、ビードの中に小さな空洞や、目に見えないほど細い割れをつくる。現場では「ブローホール」とか「割れ」とか呼ぶが、要するに、水の一滴が船の継ぎ目の弱点になるということだ。だから雨の日、屋外のドックでの溶接は止まる。

止まるといっても、仕事がなくなるわけではない。朝礼で、班長が空を見上げて采配を振る。「今日は外は無理だ。みんな屋内のブロック工場に回れ」。屋根のある工場の中なら、雨は当たらない。だから雨の日は、外の作業をいったん畳んで、屋根の下でできる仕事を前倒しにする。工程表の順番を、天気が勝手に組み替えていくのだ。班長の朝の一声で、五十人の一日の行き先が決まる。長年やってきた班長は、たぶん空の色だけで一日の段取りが見えているのだろう。

溶接棒にも、雨の日の決まりがある。溶接棒というのは、芯線のまわりに薬の皮(フラックス)を塗り固めたものだ。この皮が湿気を吸う。湿気た棒で溶接すると、これもまた水素を呼び込んで、ビードを内側から傷める。だから棒は乾燥炉という専用の炉で焼いて、湿気を飛ばしてから使う。炉から出した棒は、確か何時間以内に使い切れ、という決まりがあったように思う。それを過ぎたら、また炉に戻す。湿気た棒の害は、目に見えない。見えないからこそ、決まりで縛るしかないのだ。

雨上がりにすぐ再開できるかというと、そうでもない。鉄板の表面が乾いて見えても、継ぎ目の開先——溶接する溝の奥——には水が残っていることがある。だから雨の日や雨上がりは、ガスバーナーで鉄板を炙る。予熱という工程だ。バーナーの炎を継ぎ目に当てて、鉄を手で触れないくらいまで温める。表面の水だけでなく、鉄の中にしみた湿気まで追い出す。晴れた日には要らないひと手間が、雨の日には必ず一つ増える。この炙りの時間が、地味に効くのだ。

梅雨の時期は、これが毎日続く。一日炙って、一日待って、また組み替えて。そうやって少しずつ、工程表のうしろ側に予定が押されていく。船には引き渡しの日が決まっている。納期だ。天気が工程表を書き換える季節、現場には言葉にならない圧力がじわじわ溜まっていく。誰も口には出さないが、みんな空を気にしている。雨は、鉄だけでなく、人の腹の底も湿らせる。

雨の日の工場の中は、いつもと音が違う。屋外なら風と機械の音にかき消される雨音が、屋根の下では妙にはっきり聞こえる。鉄板を打つアークのサーッという音の向こうに、屋根を叩く雨の音が重なっている。遮光面の暗いガラスの中で溶融池を見ていると、外の世界が雨で閉じられて、自分とこの一本のビードだけが残されたような気がしてくる。雨の日にしか聞けない、二重の音だ。

再開の判断は、最後は人がする。班長が継ぎ目に手をかざし、開先の奥をのぞき、まだだ、もう少し炙れ、と言う。機械は表面の温度しか測らないが、班長は奥の乾きを読む。表面ではなく、継ぎ目の奥。あの判断だけは、二十七年見てきても、いまだに真似ができない気がする。

雨の日は面倒だ。だが面倒な日ほど、いい船ができるのかもしれない。湿気と戦い、段取りを組み替え、ひと手間多く炙ったぶんだけ、継ぎ目は固くなる。結局のところ、天気もまた工程の一部なのだ。雨を呪っても船はできない。雨と段取りをつけるのが、溶接工の仕事なのだと、いまでは思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。