テラウチジン(49歳・造船所の溶接工27年)
俺の仕事は、透視される。継いだビードの中を、X線が抜けていく。表面がどんなに揃っていても、中の影は隠せない。自分の溶接が、見えないところまで見られているというのは、思えば不思議な仕事だ。
溶接の良し悪しは、表に出ない。継ぎ目の盛り上がりがどれだけきれいでも、それは表面の話にすぎない。中に空洞があれば、巻き込んだスラグがあれば、根元まで溶けていなければ、船は海でそれを暴く。だから人間が暴く。出荷してから海で見つかるより、今ここで見つかる方がいいに決まっている。検査は敵ではない。味方なのだ。
X線のフィルムは、白黒のレントゲンだ。継ぎ目を一本のフィルムに焼いて、現像する。健全なビードは、灰色の地にすうっと一本、均した線が通るだけだ。だが欠陥があると、そこに影が出る。丸い黒点はブローホール、空気の穴。細く尾を引く濃い影はスラグ巻き込み。根元に通る一本の黒線は、溶け込み不足。影の形を見れば、中で何が起きたか、だいたい分かるようになっている。フィルムは、嘘をつかない。
検査員は、ライトボックスの前に立つ。乳白色に光る板にフィルムを貼り、目を細めて、ここ、と指を差す。その指先に、俺の影がある。彼は何も責めない。ただ場所を教えるだけだ。だが、その指の差す先を見るときの、腹の落ちる感じは、二十七年経っても慣れない。自分の引いた線の中に、自分でも見えなかったものが写っているというのは、やはり妙な気分なのかもしれない。
不合格なら、はつる。合格しなかった箇所を、グラインダーとアークエアガウジングで削り開ける。自分が苦労して盛ったビードを、自分で削り取るのだ。火花が、はつりのときはまた違う色で飛ぶ。溶接の火花が前へ散るなら、はつりの火花は後ろへ、悔しさのように散る。同じ場所を二度焼くのは、新しく継ぐより難しい。一度入った熱で鉄の性質が変わっているし、開いた溝の形も整っていない。一度目より丁寧に、二度目を焼く。
職人には、それぞれ通り率がある。検査を一度で通った割合だ。事務所の壁に貼り出されるわけではないが、検査員は知っているし、本人も知っている。若い頃の俺の率は、ひどいものだった。二十七年かけて、その数字を上げてきた。今の俺の率を、ここに書くのは気が引ける。ただ、入った頃の自分には見せてやりたい数字だ、とだけ言っておく。
近頃は、フィルムが減ってきた。超音波探傷——UTという。鉄に音波を当て、中の欠陥で跳ね返ってきた波を、画面の山で読む。フィルムの現像を待たなくていい。その場で画面に出る。検査員が、波形の尖りを指で押さえて、ここに反射がある、と言う。フィルムの影が、画面の山に変わった。検査の技術も、時代とともに変わっていくのだ。現場にいると、その移り変わりがよく見える。
この前、新人が初めての不合格をもらった。ライトボックスの前で、肩を落としていた。俺は、その肩を一度だけ叩いた。最初は誰でも×が出る。俺もそうだった。検査は、お前を落とすためにあるんじゃない。海に出る前に教えてくれてるんだ。そう言ってやった。彼は黙って頷いて、はつりの段取りを始めた。あの肩のこわばりは、いつか取れる。
フィルムに、影が一つもない継ぎ目。灰色の地に、ただ一本の線。あれを焼けた日は、誰にも見えない。検査員が、いい、とだけ言って、次のフィルムに移る。それで終わりだ。誰も褒めない。だが俺は知っている。中まで継いだということを。思えば、検査というやつが、俺をいまの俺にしてくれたのだ。透視され続けた二十七年が、俺の手を育てた。影のない一本の線は、その答えなのだろう。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。