テラウチジン(49歳・造船所の溶接工27年)
溶接の仕事を二十七年続けている。鉄板を継いで、船にする仕事だ。継ぎ目のことを、現場ではビードと呼ぶ。溶けた金属が冷えて固まった、一本の盛り上がった線のこと。波の形に似ているから、そう呼ぶのかもしれない。俺の引いたビードは、いまも海の上で、何十年も波に耐えている。
一九九九年の春、二十二歳でこの造船所に入った。最初に持たされたのは溶接棒一本と、遮光面が一枚。アークを飛ばすと、火花が花火のように散って、それはそれは美しかった。鉄を溶かすというより、光で絵を描いているような気がしたものだ。若かった俺は、その火花のロマンに、すっかり魅せられてしまった。
だが先輩は、火花など見ていなかった。配属初日、先輩は俺の遮光面を顎でしゃくって言った。「ビードを見ろ。音を聞け。いい溶接は波の形が揃ってる。バチバチじゃなく、サーッと鳴くんだ」。遮光面の暗いガラスの向こうで、溶けた鉄が小さな池になっていた。溶融池、というやつだ。その中に、小さな太陽みたいなものが、ゆらゆらと光っていたと思う。
音にも種類があった。アークがうまく走っているとき、それは確かに「サーッ」と鳴いた。揚げ物の油みたいな、機嫌のいい音。逆に棒が近すぎたり電流が合っていなかったりすると、「バチバチ」と荒れた。耳で温度を測るような、そういう仕事なのだと、少しずつ分かってきたのだった。
溶接には姿勢の種目がある。下向き、立向、上向。下向きは楽だ。重力が溶けた鉄を下に落としてくれる。きついのは上向きで、頭の上の鉄板を継ぐとき、火の粉が真っ逆さまに降ってくる。首筋に入ると焼ける。あの熱さだけは、二十七年経ってもロマンチックなものには思えない。革のエプロンの焦げ跡が、一年でいくつ増えたか分からない。
怖いのは、溶接が隠せない仕事だということだった。継いだあと、X線検査というのがある。ビードの中に空洞や割れがあれば、フィルムに黒い影として全部写る。表面がどんなにきれいでも、中がスカスカなら検査票に×がつく。俺は最初の頃、何度も再溶接をやらされた。表面を取り繕う癖が、X線の前ではまるで通用しなかった。中身で勝負する以外に、道はなかったわけだ。
夏のドックは地獄だった。鉄板は陽に焼かれて、素手で触れば火傷する。冬は冬で、海から吹き上げる風が鉄の谷を抜けていく。そういう場所で、俺たちはブロック工法というやり方で船を造る。船をいくつもの巨大なブロックに分けて、別々に組んでから、最後に継ぎ合わせる。図面には、自分の溶接した継ぎ目が、完成した船のどのあたりになるか、ちゃんと描いてある。船底か、船腹か、甲板か。俺は自分のビードが船のどこを走るのか、いつも図面で確かめる癖がついた。
初めて自分の継いだ船の進水式に立ち会った日のことは、忘れられない。船台を滑り降りた船体が、初めて海に浮いた瞬間だった。同僚たちは式典のテープや花火を見ていたけれど、俺の目は喫水線を追っていた。船が水に沈む、あの線だ。あそこより下に、俺の引いたビードがある。あの線の下で、俺の溶接が、これから何十年も波と圧力に耐えていくのだ。胸が、熱くなったような気がした。
あれから二十七年。何メートルのビードを引いたか、もう数えていない。溶接とは鉄をくっつける仕事だと思われがちだが、本当は、見えないところを信じてもらう仕事なのだと、いまでは思う。表面ではなく、中身を継ぐ。あの春の日に先輩から聞いた「音を聞け」の一言が、俺をいまの俺にしてくれた。遮光面の中のあの小さな太陽は、今日も俺の手元で、静かに燃えている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。