同じ家の、点検(第二稿)
床下のわたしと、勝手口のあの人と

テヅカアキ(46歳・浄化槽の保守点検24年)

山あいを軽トラで上っていくと、向こうから荷台に長いボンベを積んだ一台が下りてくる。すれ違いざま、窓から手が挙がる。私も挙げる。名前を知るより先に、その手の挙げ方だけを十年覚えていた。ガス屋のヨブコダイさんだ。私が床下の槽を見て回る同じ道を、彼は台所の火を絶やさないために回っている。

下水道の来ていない家には私が浄化槽の点検に来て、都市ガスの来ていない家にはヨブコさんがプロパンのボンベを担いで上がる。同じ集落の同じ家を、別々の用事で、時間をずらして訪ねる。私は表の蓋を開け、彼は裏の勝手口へ回る。入口が違うだけで、訪ねている家は同じだ。

谷あいの一軒で、朝に鉢合わせた。私が庭先の蓋を開けていると、ヨブコさんがボンベを担いで勝手口から出てきて、「おう、今日はかぶったな」と笑った。立ち話になった。彼が空のボンベを軽トラに転がしながら、ふと言った。「ここのばあちゃん、先月二十キロが二本もったんだ。いつもなら月一本なのに」。減りが半分になっている、ということだ。

私は前回の伝票を思い出していた。あの家の槽は、いつも流入のひしゃくが二杯は要るのに、前回は半杯で底が見えた。透視度計を沈めても、いつもより澄んでいた。水を使っていない澄み方だ。火を二本ぶん使わなくなり、洗濯の水が半分になっている。二つの数字が並んで、ひとつの朝を指した。台所に立つ回数が、減っている。

ヨブコさんが言った。「役場に言うか」。私は首を振った。役場より、まず本人だ。私はその朝のうちに勝手口を叩いた。婆さんは出てきて、膝が痛くて流しに長く立てない、と言った。それだけ分かれば、近所の嫁さんに一声かけられる。蓋を閉めて、次の家へ向かった。検針票と処理水の目盛りが、月に一度、この家の暮らしを測っている。誰かに頼まれた見守りではない。商売の動線が、結果としてそうなっているだけだ。

回る者には、家ごとの癖が頭に入っている。あの家は犬がいるから門で一声、あの家は呼び鈴が壊れているから勝手口を叩く、あの家の婆さんは耳が遠いから窓の前に立つ。ヨブコさんとそれを突き合わせると、知っている癖はだいたい同じだ。紙には書かれていない、回る者だけの地図がある。

去年の台風で、集落が二日停電した。私はあの朝、慌てて何軒かの蓋を開けて回った。ばっ気のブロワが止まれば、空気を送られない微生物が酸欠で弱る。蓋を開けると、案の定、泡は消え、水面は静まり返っていた。死ぬ前に手を打たねばならない。同じ道を、ヨブコさんの軽トラが上ってきた。彼の火だけは、停電に関係なく点いていた。床下の私が泡の止まった槽に焦り、勝手口の彼が灯を配って回る。同じ二日を、私たちは別々の場所で走っていた。

その朝も、彼はボンベを積んで先に出た。窓から手が挙がる。私も挙げる。表の蓋と裏の勝手口、二十キロのボンベとひしゃく一杯ぶんの水。私たちは別々の入口から同じ家に入り、別々の目盛りで同じ暮らしを測っている。今日も二台の軽トラが、同じ山道を、少しずつ時間をずらして上っていく。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。