テヅカアキ(46歳・浄化槽の保守点検24年)
軽トラックで山あいの集落を回っていると、向こうから来る軽トラがある。荷台に長いボンベを積んだ、見慣れた一台だ。すれ違いざま、運転席の窓から手が挙がる。私も挙げる。顔は見えても名前までは知らなかった頃から、その手だけは知っていた。ガス屋のヨブコダイさんだ。私が床下の槽を見て回るのと同じ道を、彼は台所の火を絶やさないために回っている。
田舎の戸別インフラというのは、たいてい一軒ずつ人が来る。下水道の来ていない家には私が浄化槽の点検に行き、都市ガスの来ていない家にはヨブコさんがプロパンのボンベを担いで上がる。同じ集落の、同じ家々を、別々の用事で別々に訪ねる。そういう人間が、この町には何人かいる。郵便も、新聞も、灯油も。みな同じ道を、少しずつ時間をずらして回っている。
ある朝、谷あいの一軒で鉢合わせた。私が庭先の蓋を開けているところへ、ヨブコさんがボンベを担いで勝手口から出てきた。「おう、今日はかぶったな」と笑う。立ち話になった。彼は彼で家の裏を回り、私は私で床下を覗く。場所は違うが、同じ家の同じ朝に、二人とも来ている。考えてみれば不思議なものだ。この家の暮らしの底のほうを、私たちは別々の入口から支えている。
その立ち話で、ヨブコさんがふと言った。「あそこのばあちゃんとこ、最近ガスの減りが遅いんだ」。独り暮らしの家だった。私はそういえば、と返した。「あの家、洗濯の水が減ってる。槽に来る量で分かる」。火を使わなくなり、水も使わなくなっている。二人の符合が、ひとつの絵になった。たぶん、台所に立つ回数が減っているのだ。誰かが気づいてやらないといけないのかもしれない、と思った。
民生委員や役場の見守りより、私たちのほうが早く気づくことがある。商売で毎月、決まった家に上がるからだ。ガスの検針票が、浄化槽の処理水の量が、暮らしの目盛りになっている。べつに見守りを頼まれているわけではない。ただ、回っているうちに、減りの変化が目に留まる。田舎のライフラインの底のほうで、こうした非公式の連携が、いつのまにか町の安否確認を兼ねている。地域のあたたかい絆、というやつなのだろう。
回る者には、家ごとの癖が頭に入っている。あの家は犬がいるから門で一声かける、あの家は呼び鈴が壊れているから勝手口を叩く、あの家の婆さんは耳が遠いから窓の前に立つ。ヨブコさんとそういう話をすると、たいてい地図が重なる。私が知っている癖と、彼が知っている癖は、だいたい同じだ。回る者同士の、紙には書かれていない地図がある。
災害のときの話もした。断水になると、水を流せなくなって浄化槽が使えなくなる家が出る。停電になると、ガスのほうがかえって頼りになる。「停電のときは、うちの火だけは点くからな」とヨブコさんは言った。電気と水道が止まっても、床下と勝手口のラインは、それぞれのやり方でしばらく生き残る。田舎の暮らしの底を支えているのは、案外こういう古い戸別のインフラなのかもしれない。
その日も、彼はボンベを軽トラに積んで先に出て行った。窓から手が挙がる。私も挙げる。床下のわたしと、勝手口のあの人。別々の入口から同じ家に入り、別々の目盛りで同じ暮らしを見ている。場所も道具も違うけれど、結局のところ、別々で同じ仕事なのだ。今日も二台の軽トラが、同じ山道を、少しずつ時間をずらして上っていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。