微生物の、槽
点検二十四年、掃除人ではなく飼育係になった日

テヅカアキ(46歳・浄化槽の保守点検24年)

浄化槽の保守点検を二十四年続けている。家の床下や庭の地中に埋まった、小さな汚水処理場。下水道の来ていない地域では、家の出す汚れを、その家ごとの槽の中で微生物が食べて水に戻す。私はその槽の蓋を開けて回る人間だ。一日に十軒、多い日は十五軒。軽トラックの荷台には、透視度計と試薬のケースと、長いひしゃくが揺れている。

二〇〇二年、二十二歳でこの会社に入った。それまでは、浄化槽というものを掃除機か排水溝の延長くらいに思っていた。汚いものを綺麗にする機械。そう思っていた。最初の数ヶ月は、ただ蓋を開けて、ブラシでこすって、薬を入れて閉めるのが仕事だと信じていたように思う。

その思い込みを叩き直してくれたのが、最初に付いた先輩だった。六十近い、無口な人だった。ある夏の昼、私が槽の縁をたわしで力任せにこすっているのを見て、先輩は静かに言った。「掃除をしてるんじゃない。微生物を飼ってるんだ。あいつらの調子を見るのがこの仕事だ」。私はたわしを持ったまま、しばらく固まっていた。槽の中に、生き物がいる。縁の下の、小さな命を世話している。そういう仕事だったのか、と。

言われてから、槽の見え方が変わった。ばっ気槽——空気を送り込んで微生物を元気にする部屋——を覗くと、ブロワから送られた空気が、無数の細かい泡になって水面で弾けている。泡の出方には機嫌がある。元気なときは、きめ細かい泡が水面いっぱいに均一に立つ。微生物が弱っているときは、泡が大きく、ぼこぼこと偏って上がってくる。先輩は蓋を開けた瞬間の泡を見て、もう調子を当てていたものだった。

道具で読むこともある。透視度計という、細長い筒の底に二重の十字が描いてある計器に処理水を注ぎ、上から覗いて、十字が見え始める高さで水の澄み具合を測る。試薬を垂らして水の色の変化を見る。それから、耳。ブロワの回る音を聞き分ける。健康なブロワは低く一定に唸るが、ダイヤフラムが傷んでくると、その唸りに細い掠れが混じる。音だけで、空気が足りているかどうかが分かるようになっていった。

覚えたての頃、消毒剤を入れすぎて微生物を半分殺したことがある。出口の塩素を効かせれば衛生的だろうと、規定より多く落とした。次の点検で蓋を開けたら、泡が死んでいた。水が妙に澄んで、けれど匂いが酸っぱく変わっていた。微生物は、強すぎる消毒では生きられない。汚れを食べてくれる相手を、私は良かれと思って殺していたのだった。世話とは、加減のことだったのかもしれない、と思う。

槽は台所とつながっている。揚げ物の油をそのまま流す家の槽は、決まって油膜が張り、微生物が窒息していく。だから点検のたびに、玄関先でお願いをする。「奥さん、油だけはシンクに流さんといてください」。叱るのではない。槽の中の生き物の話として伝えると、たいていの人は頷いてくれる。法定検査の日取りを決め、汚泥が溜まればバキューム車の清掃を手配し、田舎の点検ルートは山道を縫って一日が暮れる。

あれから二十四年。私は掃除人ではなく、微生物の機嫌の観察者になった。蓋を開けて泡を見て、匂いを嗅いで、水の色で今日の彼らの調子を読む。目に見えないほど小さな生き物たちの、声にならない訴えを、水の表情から聞き取る毎日だ。あの夏、先輩がくれた一言が、私をいまの私にしてくれた。今日も軽トラックの荷台で、透視度計が静かに揺れている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。