私は赤ペンで人を助ける仕事をしている。原稿を読み、論理の穴を見つけ、文の接続を整え、主語と述語の距離を縮める。それが私の技術であり、私の喜びだった。
ある冬、その赤が一本の修士論文を塗りつぶした。
学術出版社で5年、フリーランスの校閲者として3年。私は他人の文章を直すことで生計を立ててきた。直すとは、壊さずに整えることだ。著者の意図を汲み、著者が言いたかったはずのことを、著者よりも正確な日本語で再構成する。そういう仕事だ。
先生の論文を見るときは、その原則を守れていたと思う。先生の文体には蓄積があり、独自のリズムがある。それを崩す権利は私にない。だから赤ペンは「提案として示す」にとどめる。「この接続詞は不要では」「この段落は前節に移したほうが流れが良くなります」。先生は提案を吟味し、採用するか却下するかを自分で決める。対等とは言わないが、少なくとも決定権は著者の側にあった。
しかし学生の修論を前にしたとき、私の中で何かが変わった。先生の文章と学生の文章とのあいだに、私は無意識のうちに序列を設けていた。先生の文章は「直す」。学生の文章は「直してあげる」。この「あげる」に含まれる微かな上下関係に、あのときの私は気づいていなかった。
ある修士2年の学生のことだ。テーマは良かった。着眼点は独自で、実験もきちんと設計されている。だが文章が拙い。主語が消え、修飾語が迷子になり、段落の冒頭と末尾が別の話をしている。提出まで3週間だった。
「直したほうが早い」と思った。
そう思った理由はいくつもあった。締切が迫っている。指導教員に出す前にせめて読める状態にしたい。学生は実験と就活で疲弊している。私には技術がある。どれも合理的だった。合理的な理由は、合理的であるがゆえに反論しにくい。
最初は一文だった。主語を補い、係り受けを整理した。次は一段落になった。論旨を明確にするために文の順序を入れ替えた。そのうち段落と段落のあいだの接続が気になりはじめ、構成を組み替えた。気づけば、章単位で書き換えていた。
毎晩、赤ペンを握るたびに「これが最後」と思った。だが文章には連鎖がある。一箇所を直すと、前後との整合性が崩れる。崩れた箇所を直すと、さらに別の箇所が浮き上がる。直す行為は、際限なく次の「直すべき箇所」を生成する。
直したほうが早い。その「早い」が、彼女の時間を永遠に奪った。
提出1週間前のことだ。学生にドラフトの通読を頼んだ。赤を入れ終えた原稿を、著者本人に確認してもらう。当然の手順だ。
学生はしばらく黙って読んでいた。ときどき頷き、ときどき首を傾げた。そして原稿から顔を上げ、こう言った。
「林さん、これ、私が書いたんですか」
怒りではなかった。困惑ですらなかった。もっと静かな——疎外、とでも呼ぶべき感情だった。自分の名前が載る論文を、読者として読んでいる。そのことの居心地の悪さが、彼女の声に滲んでいた。
私はすぐには答えられなかった。「構成や表現は整理しましたが、内容はあなたのものです」と言おうとした。だが、それは本当だろうか。文章を組み替えるとは、思考の順序を組み替えることだ。段落を削るとは、著者が考えた道筋の一部を消すことだ。書くことは考えることである。書く行為を代行した時点で、私は考える行為の一部も、奪っていた。
シリーズの別の作で、子どもが読書感想文を見返して「これ、ほんとに僕が書いたんだっけ」と呟く場面がある。あの場面を読んだとき、私は自分の胸が冷えるのを感じた。世代も文脈も違うのに、構造は同じだった。代わりに書いてあげた側は善意で手を動かしている。書いてもらった側は、自分の輪郭がうっすらと削られていく。
なぜこうなったのか。あの冬から何度も考えた。
善意の介入が相手の能力を萎縮させる過程には、3つの段階があると思う。
第一段階。代行が便利に感じられる。直してもらったほうが早い、きれいになる、先生にも褒められる。学生は「ありがとうございます」と言い、私は「いえ、これくらい」と答える。ここには何の摩擦もない。
第二段階。自力との差が見える。直された原稿と、自分で書いた下書きとを見比べたとき、差が歴然としている。学生は自分の文章の拙さを、以前よりも鮮明に意識するようになる。これは「成長」のように見えるが、実態は違う。比較対象が自分の過去ではなく、他人の技術になっている。
第三段階。自分の能力を信じられなくなる。「どうせ林さんに直してもらうから」。この一言が出たとき、萎縮は完成している。書く前から推敲を放棄し、下書きの精度が下がり、下がった分だけ私の赤が増え、増えた赤がさらに自力との差を広げる。悪循環だ。
サブシディアリティの原理は「下位が持つ力を上位が奪わない」ことだと、私はこのシリーズを通して理解してきた。あの冬、私がやったのはその逆だった。下位の力を上位の力で上書きした。学生が持っていたはずの「拙くても自分で書く力」を、私の「整える技術」で塗り潰した。
肩を貸すつもりで、肩を乗っ取った。それが正確な表現だと思う。
あの修論がどうなったかを、正直に書く。完全に立て直せたわけではない。提出まで1週間しかなかった。学生と私で話し合い、私が書き換えた箇所のうち、学生が「自分の言葉ではない」と感じた部分をいくつか元に戻した。だがすべてを戻す時間はなく、修論はそのまま提出された。
学生は修了した。論文は通った。表面的には何の問題もない。けれど私は、あの「これ、私が書いたんですか」という声を、いまだに忘れられない。
翌年の春、同じ学生が学会発表の原稿を持ってきた。修了後も研究を続けていた。私は赤ペンを机に置いたまま、付箋を手に取った。
「ここ、読者として引っかかりました」
「この段落、何を言いたいですか」
「三章と四章の接続が見えにくいのですが、意図はありますか」
直さなかった。問いだけを投げた。学生は付箋を一枚ずつ剥がしながら、自分で書き直していった。時間はかかった。文章は、正直に言えば、私が直したほうが良くなっただろう。けれどそれは学生の文章だった。学生が自分で選んだ語順で、自分で決めた論理の道筋で、書かれていた。
学会の査読者から「記述にやや粗さがある」というコメントがついた。学生はそれを読んで、自分で直した。「林さん、ここ、こう直したんですけど、どう思いますか」。今度は、直した結果を持ってきた。直す前のものではなく。
これが「肩を貸す」ということなのだろうと、私はそのとき思った。完璧な原稿を渡すことではない。下手な原稿に付箋を貼って、書いた本人に返すこと。重さを感じたまま歩かせること。
赤ペンは引くものであって、塗るものではない。
一本の線を引いて「ここに注意」と示すのが赤ペンの仕事だ。原稿を赤で塗りつぶすのは、もはや校閲ではない。上書きだ。
肩を貸すとは、重さを感じたまま歩かせることだ。重さを取り除いてしまったら、歩く必要がなくなる。歩く必要がなくなった人は、歩き方を忘れる。
私はまだその加減を間違える。付箋だけにすると決めた日から何年か経つが、ふとした拍子に赤ペンが走りすぎることがある。「直したほうが早い」という声は、いまも頭の中で鳴る。おそらく消えることはない。
だが「間違えた」と言えることが、最初の一歩だった。間違えたと認め、次に同じ場面が来たとき、赤ペンを置いて付箋を手に取る。その繰り返しを、私は続けていく。
赤ペンは引くものであって、塗るものではない。
林 彩香