トキタハルキ(31歳・公園遊具の点検員9年)
砂場の砂は、入れ替える。年に一度か二度、ダンプが来て古い砂を掻き出し、新しい砂を落としていく。あるいは入れ替えずに、深くまで掘り起こして天日に当て、消毒する。砂場はただ砂が溜まっている穴ではない。それは、定期的に手入れをしなければ静かに傷んでいく、生きた設備なのだ。
掘り起こすと、いろいろなものが出てくる。猫の糞。割れたガラスの片。そして、埋まったままのおもちゃたち。私はそれを、公園の数年分の落とし物リストだと思っている。スコップの頭、ミニカー、ビー玉、誰かの靴下の片方。砂は、子どもが置いていったものを、何年も黙って抱えている。
消毒のときは、砂をふるいに掛ける。目の粗いふるいを斜めに立て、スコップで砂を放る。砂はさらさらと落ち、ふるいの上に残るのは、石と、根と、人間の落とし物だ。残ったものを手で選り分ける。ガラス片は、軍手をしていても指の腹に当たりが来る。これだけは砂に戻せない。専用の袋に入れて、別に処理する。子どもが裸足で降りる場所だから、ここはいちばん丁寧にやる。
新しい砂が入った日の砂場は、白い。朝の光を吸って、まるで別の場所のように白く乾いている。誰も足を踏み入れていない、まっさらな白。その白さを見ると、いつも少しだけ胸が締めつけられる。けれど、その白さは長くは続かない。一週間もすれば、雨を吸い、靴に踏まれ、まわりの土と混ざって、もとの公園の色になじんでいく。
砂場の縁の木枠も見る。砂と土と雨を、いちばん長く受けるのが木枠だ。角から腐る。手で押すと、ぐっと沈む箇所がある。そこはもう中まで来ている。腐りを止めるために、年に一度、防腐塗料を塗る。刷毛で木目に沿って塗っていくと、乾いた木が塗料を吸って、色が濃くなる。腐った木は、塗料も吸わない。吸わない木は、替えるしかない。
猫よけのネットの掛け外しは、近所のボランティアの当番だ。夕方に掛け、朝に外す。掛け方には決まりがあって、四隅をペグで留め、たるませない。たるむと猫が下に潜る。私が朝に行くと、もう外してくれてある日もあるし、当番が高齢で、外しに来られなくなった砂場もある。ネットの掛かったままの砂場は、誰も遊んでいないのと同じだ。
砂場で遊ぶ子は、年々減っている。砂遊びをさせない家も増えたと聞く。それでも砂場を残すかどうかは、最後は人が決める。撤去すれば、手入れも消毒もいらなくなる。それでも残す公園がある。掘ればまだ、ミニカーが出てくるからだ。誰かが、ここで遊んでいた。その証拠を、土に返してしまうのが惜しいのだと思う。
掘り出したおもちゃは、捨てない。公園の掲示板の上に、並べておく。砂を払ったミニカー、ビー玉、片方の靴下。取りに来る子は、まずいない。何年も前に落としたものだから、落とした本人ももう覚えていない。それでも私たちは、捨てずに並べる。これは、この公園に昔から伝わる、ささやかな習わしのようなものだ。
砂場は、公園の記憶の地層なのだ。掘れば掘るほど、過去の子どもたちが出てくる。私はその地層を、年に一度めくり、消毒し、また閉じる。新しい砂の白さも、一週間でなじむ色も、腐っていく木枠も、すべては時間が積もっていく場所のしるしだ。今日も私は、誰もいない公園で、まっさらな白い砂場を見つめている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。