トキタハルキ(31歳・公園遊具の点検員9年)
遊具の点検は、乗ることから始まる。二〇一七年、二十二歳でこの会社に入った日、先輩に最初に言われたのは「まずブランコに乗れ」だった。図面の見方でも、記録の書き方でもなく、乗れ、だった。点検とは、大人が本気で遊ぶことから始まる仕事なのだと、その朝に知った。
誰もいない公園は、朝の光がやけに白い。開園前の住宅街の公園で、二十二歳の私が一人、ブランコを漕ぐ。漕ぎながら、チェーンの軋みを聞き、支柱の揺れを尻と足の裏で確かめる。傍から見れば、出勤前のスーツの大人がブランコに揺られているだけの、奇妙な絵面だったと思う。けれど、それをやらなければ見えないものがある。
摩耗の進む箇所は、だいたい決まっている。ブランコなら鎖の吊り元、滑り台なら着地のあたり、シーソーなら真ん中の軸。チェーンの一輪一輪にノギスを当てて径を測る。新品なら何ミリ、限界なら何ミリ、という数字が様式に印刷されていて、その間のどこに今この鎖がいるかを書き込んでいく。吊り元から三つ目あたりの輪が、いつもいちばん細くなっている。子どもの体重が、いちばんそこに集まるからだ。
着地面の砂も見る。ブランコの真下と、滑り台の出口の先。子どもが何百回も同じ場所に降りるから、そこだけ砂がえぐれて、皿のようにくぼんでいる。くぼみが深くなると着地の衝撃が逃げなくなる。砂を均すのも点検のうちで、私はスコップで端から砂を寄せ、もとの平らに戻す。戻したそばから、また午後にはえぐれているのだろうと思いながら。
塗装の剥がれと、その下の錆。支柱の根元、地面とコンクリートの境目が危ない。爪で塗装の縁を弾くと、ぱりっと剥がれて、下から赤茶けた鉄が出てくる。錆は表面だけのこともあるし、中まで進んでいることもある。叩いて、音で聞き分ける。澄んだ音なら大丈夫、こもった音なら、中が食われている。
先輩がぽつりと言ったことを覚えている。「子どもは、壊れかけた遊具ほど面白がるんだよ。ぐらぐらするやつ、変な音がするやつ。だから、おれたちが先に見つけるんだ」。あの言葉を聞いてから、ブランコの軋みが、ただの音ではなくなった。誰もいない朝の公園でも、午後にここで遊ぶ子どもたちの声が、どこかから聞こえてくるようだった。
その年の冬、初めて「使用禁止」のテープを巻いた。シーソーの軸が限界を超えていた。黄色と黒のテープを支柱にぐるぐると巻き、「点検中・使用しないでください」の貼り紙を結束バンドで留める。作業を終えて振り返ると、フェンスの外から、ランドセルを背負った男の子がこちらを見ていた。何も言わず、しばらく見て、それから走って行った。あの視線を、私はまだ忘れられないでいる。
翌年、その公園のシーソーは撤去された。コンクリートの基礎だけが残り、やがてそこにも土がかぶさって、いまは何があったのか分からない。撤去された遊具の跡地は、不思議と平らすぎて、かえって目立つ。子どもたちはもう、そこに何があったか覚えていないだろう。覚えているのは、最後にそれに乗った大人の私だけかもしれない。
あれから九年。私はずっと、遊具の軋みを聞く人間であり続けている。ノギスの当て方も、錆を叩く音の聞き分けも、体が覚えた。誰もいない朝の公園でブランコを漕ぐ、あの奇妙な時間が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も私は、子どもより先に、遊具のガタつきを見つけるために、白い光の公園でブランコに乗る。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。