修学旅行の、便(第二稿)
百名の名簿が、桟橋で赤い帯の沈みに変わる

トキワダイゴ(50歳・遊覧船の船長28年)

春と秋は、団体の便がある。乗船名簿が前の日に事務所に届く。何年何組、男子何名、女子何名、引率の先生の名前。下の欄に「総勢百名」と書いてある便は、定員ぎりぎりだ。私はその数字を見て、明日の船の沈みを先に知る。

百人が乗り込むと、いつも水面から覗いている赤い帯が、ひと並び沈む。桟橋を離す。出足が、いつもの便より半拍遅れて出る。船は、乗っている数を計器ではなく腹で私に渡す。名簿の「百」が、ここで赤い帯の沈みに変わる。

出航してしばらくは、口上は聞こえない。百人が一斉に喋るからだ。誰も聞いていない。私は構わず「右手に見えますのが」とマイクに吹き込む。口上を省くと、舵を切る手の段取りまで崩れる。聞いていない百人の便でも、口上は私の手のためにある。

湖の真ん中まで出ると、岸が遠のく。出航から五分ほどで、あれだけ騒いでいた百人が、いっせいに途切れる。マイクを切ると、船首が水を切る音と、誰かの咳だけが残る。二十八年で、私はこの五分後を待つようになった。

静かなのは長くは続かない。誰かがデッキに出る。一人が出れば右舷に寄る。片側に寄った分、船はわずかに傾く。舵が、握っている手にいつもより重く返ってくる。私は速度を少し落とす。引率の先生が「中に入りなさい」と声を張る。生徒は風に当たりたくて動かない。傾きが戻るまで、私は舵を握り直している。

聞いていない百人の中に、ひとり、窓の外を動かない子がいる便がある。仲間が騒いでも、振り向かない。湖だけを見ている。私はその子に向けて「左手の入江は、朝のうちだけ風が抜けません」と、台本にない一文を足す。その子が聞いたかどうかは、わからない。

下船は「ありがとうございました」の合唱だ。先生が促し、百人が声を揃える。デッキを見回ると、たいてい水筒がひとつ残っている。横腹に油性ペンで名前。私はそれを読まずに、事務所の忘れ物棚に置く。持ち主は、もうバスの中だ。

棚の水筒は、たいてい取りに戻らない。春の名簿の百と、秋の名簿の百が、その棚で同じ大きさに並ぶ。私はまた、次の便の沈みを腹で測る。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。