マイクの、口上
船長一年目、同じ景色の違いを見はじめるまで

トキワダイゴ(50歳・遊覧船の船長28年)

遊覧船の会社に入ったのは一九九八年、二十二歳の春だ。同期は操船から覚えると思っていたらしいが、私が最初に渡されたのは舵ではなく、一枚の台本だった。「右手に見えますのが」で始まる、口上の台本。操船の前に、まずこれを暗記しろと言われた。湖面が朝日にきらきらと輝いて、私はその台本を握って桟橋に立っていた。

台本は先代の船長たちが何十年もかけて磨いてきたものだった。「右手に見えますのが、対岸の弁天島でございます」「水深はこのあたりでおよそ四十メートル」。文字の脇には、ここで一拍おく、ここはゆっくり、と鉛筆の書き込みがあって、それは私より前の誰かの呼吸の跡だったのだと思う。

一日に六周する航路だった。時刻表は朝九時から夕方まで、判で押したように同じ時刻に桟橋を出る。同じ航路、同じ台本、同じ口上。最初の数日、私は同じことを六回繰り返す仕事に少し気が滅入っていたのかもしれない。

三日目だったか、霧の濃い朝があった。私は台本どおり、対岸の島を指して「絶景でございます」とマイクに吹き込んだ。島は霧で何も見えていなかった。操舵室にいた先輩船長が、マイクのスイッチを切って、低い声で言った。「霧の日に絶景と言うな」。それだけだった。

先輩はそのあと、こう続けた。「口上は景色に合わせて伸び縮みさせろ。見えないものを見えると言うな。台本は骨だ。肉は今日の湖から取れ」。私はその意味を、しばらく考えていた。台本は変えてはいけないものだと思い込んでいたからだ。

それから私は、湖を見るようになった。同じ航路を六周しても、湖は同じ日が一日もないことに気づいたのは、たぶんその頃だ。朝の風は東から、午後は西から。水の色は、晴れた日は青を通り越して黒に近く、雨の前は鈍い緑になる。桟橋を追ってくるユリカモメの数も、日によってまるで違う。台本のどこを縮めてどこを足すか——それを決めるのが船長の裁量なのだと、少しずつわかってきたように思う。

客が一人も乗っていない最終便でも、私はマイクのスイッチを入れて口上を続けた。誰も聞いていないのに、と最初は思った。だが続けるうちにわかった。口上は操船のリズムでもあるのだ。「右手に見えますのが」で舵を切り、「ここで一拍」で速度を落とす。口上を省くと、手の動きまで雑になる。台本は、客のためであると同時に、私の体のためでもあった。

桟橋に戻れば、係留ロープを巻く。濡れたロープは重く、手のひらに繊維の感触が残る。その繰り返しの中で、私は二十八年かけて、自分の口上を作ってきた。先代の骨に、その日の湖の肉をつける。霧の日には「絶景」と言わず、「今日は対岸が霞んでおりますが、これも湖の表情のひとつでございます」と言う。誰も教えてくれなかったその一文は、いつのまにか私の口上になっていた。

あれから二十八年。同じ湖を、たぶん五万周はした。私はいつのまにか、同じ景色の中の違いを見る人間になっていた。風の向き、水の色、鳥の数。それを見つづけてきたことが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も九時の便で、私はマイクのスイッチを入れる。「右手に見えますのが」。湖面は、今朝もきらきらと光っている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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