廃棄の、判定(第二稿)
使い込まれたワイヤーを、まだ使えるかどうか決める

トネリアスカ(46歳・索具職人23年)

編むだけが索具の仕事ではない。月に何度か、工場やクレーン現場を回って、使われているワイヤーを点検する。まだ吊ってよいか、もう吊ってはいけないか。自分が編んだ輪に、もう吊るなと言い渡すのも、私の役目だ。

製鉄所の天井クレーンに上がると、玉掛けワイヤーが熱で焼けて、より山が青黒く変色している。素線が焼き戻されて柔くなっている証拠で、ここのワイヤーは径が減るより先に芯から弱る。漁協の揚げ機は逆で、塩水を浴び続けた付け根が、赤さびを噴いて先に腐る。同じワイヤーでも、現場ごとに死ぬ場所が違う。私は脚立を立て、シャックルを外し、ワイヤーを手元におろして、端から端まで手で送っていく。

廃棄基準は数字で決まっている。一よりの間に切れた素線が何本あるか。摩耗で直径が公称の何パーセント減ったか。基準は表に貼ってある。けれど一本を切れていると数えるかどうかは、指が決める。送っていく手のひらに、チクリと刺さるものがある。摩耗で頭の丸まった素線は刺さらない。切れて立った素線だけが刺さる。指が先に数えて、目が後から確かめる。

キンクは数字に出ない。一度よじれて戻らなくなったワイヤーは、握ると指の中で硬い節になっている。潰れたより目の中で素線が片寄って、表からはどうにも見えないのに芯が死んでいる。これは基準の表に本数で書けない。握った節の硬さで、私が駄目だと決める。判定は表が下すのではない。表で決まらないところを、手が下す。

判定がついても終わらない。まだ使えると言い張る現場が、必ずある。新品は一本いくらする、来月の操業に間に合わせたい、見たところまだ吊れるじゃないか。私は切れた素線を一本、指で立てて見せる。「ここから先は、切れてからでは遅い」。それだけ言って、札をつける。あとは現場が決めることだ。

廃棄と決めたワイヤーは、スクラップ置き場へ運ばせる。何トンも吊ってきた輪が、ぐしゃりと巻かれて束になって積まれている。山の中に、二十年前に私が編んだタグが見えることがある。私の通しが入った輪が、もう何も吊らないものとして積まれている。自分で編んで、自分で運ばせる。

新品の納品に立ち会い、掛け替えをする。操業を止め、古い玉掛けを外し、新しい輪を通し、シャックルを締め、試し吊りをする。新品のワイヤーは握っても何も刺さらない。素線が一本も立っていない手ざわりだ。事務所の台帳には、この径のこの現場のワイヤーが、だいたい七年で廃棄になると数字が並んでいる。次にこの輪が私の指を刺すまで、七年。手のひらに残った今日の素線の跡を、台帳の隣で見ている。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。