トネリアスカ(46歳・索具職人23年)
ワイヤーロープの先をほどき、輪に編み込んで吊り具をつくる。これを索具という。二十三年やってきた。きれいに編むほど、編み込んだ中身は本体に吸い込まれて、外からは見えなくなる。仕事が見えなくなることが、仕上がりの証なのだ。
港町の索具店に入ったのは二〇〇三年、二十三のときだった。親方は無口な人で、私に最初のアイスプライスを編ませた。スパイキ——先のとがった鉄の道具——を本体のより目に差し込んで割り開き、ほどいたストランドを一本、隙間に通す。引き抜いて、隣のより目をまた割り開いて、次の一本。一本おきに通し、最後の一本を差し戻して締める。余りを切って叩いて整えると、通したストランドは本体の中に消えた。
得意げに差し出した。親方は輪のほうを見ず、編み込みの根元を見て、通しの本数を指で数えた。一本おきに通っているか、最後の差し戻しが締まっているか。それから言った。「編み込みは見えなくなる。中に入った目は誰にも見えない。だから自分が見ておくんだ」。目、というのは編み込みでできる隙間のことだった。
その輪を、破断試験にかけた。試験機が引く。素線が一本ずつ、パン、パンと切れていく音がして、最後に本体ごと切れた。編み込みの根元ではなく、本体の素線で切れた。私の通しは荷重に負けなかったということだ。針は、公称破断荷重の九割を超えていた。自分の手の中身が、整数になって返ってきた。
年が明けて、別の現場のクレーン用の吊り具を編んでいたとき、ふと手が止まった。割り開いたより目に次の一本を通しながら、自分でも、いま通した一本が中で消えていくのを見ていた。誰も見られない通しを、私の目だけが見ている。親方が言ったのはこれかと、手を動かしたまま思った。
二十三年、漁港の網も、工場の吊り具も編んできた。摩耗したワイヤーの廃棄判定もする。表に飛び出して切れた素線を、指でなぞって数える。一よりピッチの中に何本切れているか。基準を超えたら、味も何もない、もう使うなと判定する。指は情緒では触らない。本数を数えるだけだ。
吊り具には製作者のタグがつく。誰が編んだか、何トンまで使えるか。表からは、私の通しは見えない。荷を吊るたび、見えない通しに重さがかかる。私はその一本ずつを、編んだときに見た。今のところ、私の編んだ輪は、根元で切れたことはない。