タケウチソウタ(高校生)
うちの学校から駅へ行くとき、ドラッグストアの角を曲がると急に道が細くなる。そこだけ観光パンフの写真と空気が違う。朝七時すぎ、クリーニング店の脇には濡れたハンガーが束で下がり、修理工場の床には黒い水が筋になって流れている。青いシャッターの食料品店には「HALAL」「Gao thơm」と紙が重ねて貼ってあり、レジの横の段ボールからコリアンダーがはみ出す。店の正面より、横と裏にある扉のほうがよく開く。銀色のドアノブ、へこんだアルミの引き戸、配達票をはさんだままの勝手口。僕はこの通りで、建物の顔より先に、側面ばかり見て育った。
前はそれを少し恥ずかしいと思っていた。修学旅行の事前学習で街の紹介動画を作ったとき、班の発表にこの通りは入れなかったからだ。寺の石段、川の橋、ソフトクリームの店は使ったのに、裏の搬入口は切った。画面に入れると汚く見える、と自分で言った。いま思い返すと、その判断は正直だったし、同時にずるかった。僕は毎朝その道を通っているのに、説明するときだけ消した。きれいに見せたい相手が現れると、先に省かれるのはいつも横の扉だ。
でも、この通りは「隠れた名所」ではない。そこに洒落た価値札をつけると、また見えなくなるものがある。先月の雨の日、ホテルの裏口からシーツの台車を押してきた女の人が、側溝にはまった車輪を蹴って外した。金属が鳴って、白い布の端に灰色の水が跳ねた。その三十秒後、同じホテルの正面では制服姿の案内係が観光客に地図を配っていた。どちらも同じ建物の仕事なのに、写真に残るのはたいてい前だけだ。街は正面だけでは回らない。 回している手つきは、だいたい横からしか見えない。
この道でいちばん気になるのは、裏口が多いこと自体ではない。どの扉にも、ちゃんと使う人の癖がついていることだ。中華料理店の通用口の下だけ塗装が剝げているのは、台車が毎日ぶつかるからだし、飲み屋の勝手口の前だけ吸い殻入れが四角く黒ずむのは、閉店後にそこで店員が集まるからだ。通りは無愛想だが、手入れされていないわけではない。昼前、パン屋の裏で店主がほうきで小麦粉を掃き寄せる音を聞くと、表のショーケースよりその店を信用する。観光客向けの言葉より先に、床の減り方が店の事情をしゃべる。
駅前の再開発の案が出たとき、この一帯は「回遊性を高めるため整理」とだけ書かれていた。整理という語は便利だ。何をどかすのかを言わずに済む。その紙を見た帰り、いつもの食料品店の前で、小学生がサッカーボールを抱えたまま冷凍庫の霜を指でこすっていた。店のおじさんは値札を貼り替えながら、そこ触るな、とだけ言った。怒鳴りもしないし、愛想もない。その短いやり取りの横で、搬入口のドアがまた開いて、肉の箱が二つ運び込まれた。あの通りに必要なのは、説明の上手い名前ではない。あの扉が一日に何回開くかを、消さずに数えることだ。