フジワラレン(研究助手)
先週、駅前の量販店で、透明窓つきの恐竜ブロックを見た。箱の正面はレモン色で、角に青い星、中央に口を開けた緑の恐竜が描いてある。子どもの手はまっすぐ窓へ伸びるのに、大人の目は右上の赤い丸へ吸われる。対象年齢3歳以上。丸の下には、光沢のない灰色の帯があり、そこだけ急に事務用品の顔つきになる。
裏面はもっと露骨だった。上半分は完成写真と「12ピース」の表記、下半分は黒いゴシック体がほぼ隙間なく詰まる。行間は狭く、注意の見出しだけが太い。STマークの横に、誤飲、窒息、破損、尖った部分、保護者同伴の文が縦に落ちる。恐竜の尻尾のすぐ脇に「小部品があります」とあり、楽しさの説明より事故の型番のほうが先に整っている。箱は遊びを売りながら、事故の経路まで印刷している。
この表示は子どもに向けたものではない。あれは親への指示であり、店への逃げ道であり、メーカーの防壁だ。子どもは「3歳以上」を読まない。読むのは、棚の前で一度しゃがんで箱を裏返す大人である。実際、その日も隣の親子は、子どもが「これ」と言ったあと、母親がまず底面の注意書きを見て、次に角の年齢表示を見直し、最後に箱を棚へ戻した。判断の順序が、遊びではなく事故から始まっていた。
ここで効いているのは、数字の正確さではない。二歳十か月と三歳一か月を、売り場の箱は見分けない。それでも数字は強い。理由は簡単で、迷った経緯を省略できるからだ。親は「まだ早い」で済ませられるし、店員は陳列の根拠にできる。あとで揉めたとき、まず参照されるのもその一行だ。年齢表示は発達の目安というより、責任を受け渡すための札になっている。
玩具売り場の違和感は、注意書きが多いこと自体にない。派手な箱ほど、子どもに見せる面と大人に読ませる面がきっぱり分かれていることにある。前面は欲しさを引き受け、背面はためらいを引き受ける。ひとつの箱の中で、買わせる言葉と退かせる言葉が同居している。そのねじれが、棚全体を少し冷たくする。明るい恐竜の横で、いちばんよく働いているのは笑顔ではなく、小さな黒い文字の列である。