実印の、注文(第二稿)
店に入った年、注文の理由を見る人間になるまで

トヨシマヒデオ(61歳・印章店三代目)

店に入ったのは一九八八年、二十三歳の春だった。祖父が始め、父が継いだ店の、三代目である。店先には三文判の回転棚があり、奥に作業場がある。三文判は棚で売り、実印は奥で彫って売る。同じ「はんこ」でも、この二つは別の商売だと、父は棚と作業場のあいだに線を引いていた。

店に入った年、父に言われた。「実印は一生に何本も作らない。だから一本に時間をかける」。三文判は名字が合えば誰のものでもいい。実印は、その人ひとりのものだ。役所に登録され、家を買うときも相続のときも、その人の意思の証になる。父はそれだけ言って、あとは手を見て覚えろという人だった。

初めて受けた実印の注文は、家を建てる若い夫婦の連名だった。二本いっぺんに、と言う。印材は黒水牛にした。柘植は木目が出て彫っていて気持ちがいいが、夫婦は黒水牛の芯持ちを選んだ。「永く使うものですから」と父が言い、二人はうなずいた。当時の作業場にチタンはまだ無い。あれが店に並ぶのは、もっとあとのことだ。

字入れに二日かけた。鈴木、と印面に墨で逆字を描いては、また摺り落として描き直す。印相体は、文字の線を枠まで伸ばして八方に広げる字体だ。線が枠に触れるところまで伸ばすと、字が、その人の家のように見えてくる。父は「字入れが八割だ。彫る前に仕事は終わっている」と言った。残りの二割が、刀だった。

印床に印材を固定し、印刀を入れる。最初の一刀で、手が震えた。墨の線の内側を、線を殺さないように残して彫る。一刀でも深く入れば、その線はもう戻らない。他人の一生ものに、二十三の私が初めて刃を入れている。父は横で何も言わず、ただ私の手元だけを見ていた。半日かけて彫り終え、印面を手鏡に映した。印面は左右が逆だから、鏡に映してはじめて、押したときの形が見える。鏡の中の鈴木の名は、まっすぐ立っていた。

朱肉をつけ、試し紙に捺す。色が均一に乗った。父は黙って、印鑑登録の案内の紙を夫婦に渡した。この一本で、二人は役所へ登録に行く。家の鍵を受け取るより先に。家を建てる、という一度きりのことのために、二人は判子を作りに来たのだった。

あれから三十八年、私は彫るより先に、注文の理由を見るようになった。成人、結婚、家、そして相続。客は用件しか言わない。だが実印を作りに来たというだけで、その人に一度きりの何かが起きたとわかる。脱ハンコと言う。私の帳簿では、年に二百本さばいていた認印の三文判が、いまは三十本を切った。回転棚は、ほとんど回らない。

それでも、実印の注文は減らない。今年も去年とほぼ同じ本数が、奥の作業場に来た。家を買う人も、誰かを見送る人も、いなくならないからだ。三文判は機械が押せる。実印は、まだ私が彫る。減った字のことは覚えていない。覚えているのは、初めて刀を入れた鈴木の二本だ。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。