ツボイレンジ(46歳・和ろうそく職人24年)
和ろうそくをつくって二十四年になる。洋ろうそくと違って、和ろうそくは芯が燃えない。い草の髄を和紙で巻いた芯が、溶けた蝋を下から吸い上げて、その吸い上げた蝋が燃える。だから炎が大きく、躍る。揺らめく炎を見ていると心が安らぐ、とよく言われるが、つくる側の私には、あの揺らめきは芯の太さの結果でしかない。
修業を始めたのは二〇〇二年、二十二歳の秋だった。工房には櫨蝋(はぜろう)を溶かす鍋が据えられていて、四季を通じて、植物の脂の、青くさいような甘いような匂いが静かに満ちていた。親方は無口な人で、最初の数ヶ月、私は鍋の番と掃除しかさせてもらえなかったと思う。
和ろうそくは「塗る」のではない。「太らせる」のだ。芯巻きの竹串に巻いた芯を手に持ち、ぬるく溶けた櫨蝋を素手で掬って、芯の上から下へ、下から上へと手で掛けていく。一度では薄い膜しか付かない。乾かしては掛け、乾かしては掛け、何十回も繰り返して、ろうそくは少しずつ太っていく。蝋を塗っているというより、白い実が育つのを手伝っているような感覚だった。
手掛けは、温度が命だ。蝋が熱すぎれば手の上で流れて付かず、ぬるすぎれば固まって乗らない。親方は温度計を使わなかった。指を浸して、それで決めていた。「手袋をしたら蝋の機嫌が分からん」。最初の冬、私の指は火傷と乾燥でひび割れたが、不思議と、熱い、と思わなくなっていったように思う。手が蝋の温度を覚えていったのだろう。
あるとき、私が掛けた一本を親方が手に取って、芯の出ている上の部分を指でつまんだ。「お前、これは何のろうそくや」。寺の注文だった。寸法の指定があり、私はその太さに合わせて掛けたつもりだった。親方は言った。「洋ろうそくは芯が燃える。和ろうそくは芯が吸い上げて炎が躍る。芯の太さが炎の形や」。太い芯は多く吸い上げて大きな炎をつくり、細い芯は小さく静かに燃える。寺が太さを指定してくるのは、本堂の広さに合う炎の大きさを、知っているからなのだった。
その日から、私の見ているものが変わった。それまで私は、ろうそくの「外側」を、つまり何ミリ太らせるかを見ていた。けれど親方が見ていたのは、いちばん内側の、和紙に巻かれて見えない芯の太さだった。外側の蝋は、見えない芯の太さを成立させるための肉でしかない。私は順番を逆に覚えていたのだ。
絵ろうそくには花や鳥の絵が描かれるが、あれは私の仕事ではない。白いろうそくを太らせるところまでが私で、絵付けは別の職人の手に渡る。分業を最初は寂しく感じたが、いまは分かる。私が描けるのは芯の太さだけで、それで手一杯なのだ。一つのことを一生かけて見る。それが職人ということなのかもしれない。
その年の暮れ、親方は私に検品をさせた。掛け上がった一本に火を点し、最後まで燃やしきって、炎が途中で暴れたり消えたりしないかを確かめる、燃焼試験だ。工房の灯りを落として、一本の炎だけを見た。和ろうそくの炎は、洋ろうそくのように行儀よくはない。吸い上げた蝋の量に応じて、伸びて、縮んで、左右に躍る。けれどその躍りの幅は、芯の太さが決めた範囲の中にある。暴れているように見えて、暴れていない。私はその晩、芯が決めた炎の踊りを、最後の一滴まで見届けた。
あれから二十四年、私は何万本のろうそくを太らせたか、もう数えていない。炎を眺めて安らぐ人たちの、その安らぎの時間を、私はつくっているのだろう。けれど私自身は、いまも炎を見ると、まず芯の太さを読んでしまう。職人とは、結果ではなく原因を見る人間のことだ。あの暮れの燃焼試験の夜が、芯の観察者としての私を、いまの私にしてくれた。工房の鍋は、今日も静かに櫨蝋を溶かしている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。