土屋良介(つちや りょうすけ)。四十六歳。妻に障害があり、家族四人での外出は「行かない」のではなく予定として立てられない。勤め先の給与より外の仕事の収入が多くなって二年、書類の職業欄で手が止まる。制度の言葉と、名乗りが通る側にいる自分の自覚から書く。
得意題材:窓口と書類、制度の借り物の言葉、休むための許可、収入と名乗りのねじれ
声の特徴:短い断定と制度の名詞。感情に名前をつけそこね、動作で示す
午前は書類だった。
妻の年金の更新である。二年に一度、診断書を出して、まだ良くなっていないことを説明する。良くなっていないと証明できると生活が続く。そういう仕組みの中に十年ばかりいる。
窓口では代理人の欄に自分の名前を書く。妻の名前を書き、自分の名前を書き、関係の欄に「夫」と書く。一文字である。書けば通る。通ることを、私はこの十年、一度も疑ったことがなかった。
手続きが終わって外へ出たところで、連絡が来た。何年か前に一度だけ相談に乗った人からだった。子どもが集中治療室に入っている、という。面会できるのは親だけです、と言われた。二人で育ててきた子どもだが、書類の上で親は一人しかいない。もう一人には、廊下で待っていてくださいと言われた。その人が書いてきたのは、こうだ。「なんでこうなるんですか。二〇二六年ですよ」。
私はその朝、窓口で「夫」と書いてきたばかりだった。三十秒もかかっていない。同じ日の、同じ街の、同じ制度の話である。
一杯やりたくなった。まっすぐ帰る気にならなかった、と書くほうが正確かもしれない。夕方まで街で時間を潰して、それでも帰らなかった。財布に、本屋のラウンジで使える優待券が入っていた。以前に何かの縁でもらったもので、期限が近い。期限のある券というのは、よくできた発明だと思う。休むことに、外から理由をつけてくれる。
介護をする側が休むことを、制度の言葉では「レスパイト」と呼ぶ。よその国の言葉を、日本語に直さずそのまま使っている。「休息」と書けば済むところを、わざわざ借りてきた語のままにしてあるのは、そのほうが許可が出やすいからではないかと思っている。自分の言葉で「休みます」と言うのは、案外できない。借り物の言葉なら言える。私もそうだ。何もない日に、何もない顔で酒を呑むことができない。券があると呑める。券が許可証の形をしているからだ。誰が発行したものでもいい。「あなたは今日ここで一杯呑んでよい」と書いた紙が要る。
店に入ったのは五時半である。入口を入ろうとしたところで、出てきた家族連れと入れちがいになった。父親のほうは、娘の学童で見かける顔だった。名前は知らない。目が合ったので会釈をした。向こうも会釈を返した。それだけである。妻らしい人が先に外で待っていて、上の子は赤い鳴子を握り、下の子は手を引かれながら、まだ半分眠っているような顔をしていた。祭りの帰りらしかった。四人はそのまま人の流れのほうへ歩いていった。
席についてハイボールを一杯もらい、外から受けている仕事を開いた。三十分いじって、一行も進まなかった。閉じて、棚のほうへ行った。
持ってきたのは、性的少数者の運動の歴史を写真と年表でたどる、厚い本だった。四十年ばかり前、別の国の病院の写真が載っている。当時、恋人が重い病気で入院したとき、「ご家族ではありませんので」と言われて病室に入れてもらえなかった人が大勢いた。看取ることも、遺体を引き取ることもできなかった人がいた。年表には、その一言が通らなくなるまでに何年かかったかが書いてある。何年もかかっている。ページの端に、行進の写真がある。今日の午後に廊下で言われた言葉が、四十年前の別の国のページにそのまま載っている。
ページをめくっていて、手が止まった写真がある。行進のなかで、一人が板を高く掲げている。太い字でこう書いてある。STOP THE MORAL MAJORITY。道徳的多数派をやめさせろ、という意味である。当時、その名を掲げた団体があった。自分たちは道徳の側におり、しかも多数派である、と名乗った人たちがいて、その名前を止めろと書いた板を掲げる人たちがいた。
小学三年の娘が、少し前に、道徳の時間に習った歌の話をしたことがある。歌詞の一節を覚えていて、「マジョリティが正しいと、みんな間違える」と言った。どういう意味だと思う、と聞いたら、「みんなが正しいって言ってても、まちがってることがある」と答えた。それ以上は言わなかった。私は「そうだね」と言った。ほかに言えることがなかった。
同じ「道徳」という語が、片方では多数派の名乗りに使われ、片方では小学校の時間割に入っていて、そこでは多数派を疑う歌が歌われている。四十年と、国ひとつ分の距離がある。距離があるのに、今日の午後に廊下で言われたほうの言葉は、四十年前のページから一歩も動いていない。
去年、しばらく滞在した国で、その旗が街じゅうに出る季節に居合わせた。「誇り」という意味の一語が、そのまま旗と行進の名前になっていた。向こうで教わったのは、あの行進が祝いから始まったのではないということだった。手入れを受けた店の客たちが、その日に抵抗した記念日から始まっている。もう一つ教わったのは、誇りとは成し遂げた者に後から与えられる褒美ではなく、まだ何も成し遂げていない人にも最初から配られているものだ、という考え方である。理屈としては分かったが、そのときは体に入らなかった。四十を過ぎた人間の体は、そう簡単には入れ替わらない。
今日、廊下に立たされた人の話を聞いて、少し入り方が分かった。誇りというのは、名乗ることを許されなかった人が、それでも名乗るときの姿勢のことだ。堂々としていることではない。書く欄がないところに、それでも自分を書こうとすることだ。
名乗りの話でいうと、私にも小さいものがある。二年ほど前から、外の仕事で得るものが、大学から受け取るものを超えた。超えた月がある、という話ではなく、年で超えた。以来、書類の職業欄で手が止まる。人はふつう、稼ぎの多い方を職業と呼ぶ。私はいまだに少ない方を書いている。嘘は書いていないが、正確でもない。
ただ、これは正直に書いておく。私の名乗りの揺らぎは、どちらを書いても通る揺らぎである。窓口で止められたことは一度もない。今日廊下にいた人の関係の欄には、書くべき語が用意されていない。同じ「名乗り」という言葉で二つを並べるのは、たぶん厚かましい。それでも並べてしまうのは、私が自分の話からしか物を考えられないからだ。
もう一つ、この街には、「誇り」という意味のあの語が、集合住宅の名前として立っている。これも借りてきた言葉のままである。頭金と三十五年の返済で買える誇りである。誇りが商品名になる国で、誇りを一番必要としている人の欄が空いている。この二つが同じ街に立っていることを、私はまだ一つの文にできない。
入口ですれちがった四人のことを、本を読みながら何度か思い出した。
数だけは、うちと同じである。
うちは、四人で出かけることがなくなった。行かなくなった、というのとは少し違う。予定として立てられなくなった、というほうが近い。行けるかどうかは前の晩まで分からず、分からない予定は最初から立てない。立てない予定は、そのうち「行きたかった場所」ですらなくなる。消えるのは外出ではなく、外出を思いつく回路のほうだ。
だから、祭りの帰りらしいあの四人を見ても、うらやましいとは思わなかった。そういう時間が世の中にはある、という事実を、視界の端で確かめただけである。向こうも私を見て、たぶん何も思っていない。封筒を抱えて入ってきた男が、その日の午前に何の書類を書き、これから何を読むことになるかを、あの人は知らない。私も、あの人たちがなぜ夕方に四人であそこにいたのかを知らない。あの一時間が、あの人にとって何の一時間だったのかも知らない。何も交換していない。会釈を一回ずつ交換した。それで足りている。
連絡には、明日いちど電話をします、書類の書き方を一緒に考えます、としか書けなかった。制度は今夜変わらない。ただ、何年かかるかが書いてある年表を、私はさっき見たところである。何年かはかかる、と分かっている人間が一人増えたことに、意味がないとは思わない。
八時半から、娘と、学童の友達数人で花火をやる約束になっている。夏休みの最後の機会だ。数日前から娘が日を数えていた。線香花火は最後まで落とさなかった子が勝ちだと娘は信じている。誰もそんなルールを決めていない。多数決を取ったわけでもない。決めていないルールを本気で守れるのは、たぶん、遊びのほうが定義より先に来るからだ。
六時半に店を出た。会計のとき、券の半券を財布に戻した。使い終わった券を、なぜかすぐには捨てられない。今日は休んでよかった、という証拠を、しばらく持っていたいのだと思う。
夜、小さい背中が四つ並ぶ後ろから、線香花火の玉が落ちるのを見る。今日会釈をしたあの人の子も、同じ学童にいるらしいと後で聞いた。今夜ここに来るかどうかは知らない。互いの事情は、この先も知らないままだろう。知らないままで、年に何度か挨拶をする。いまの私には、それがいちばん息のしやすい距離である。廊下に立っている人にも、そのくらいの距離の相手が何人かいるといい。名前も事情も知らないまま、会えば会釈をする人が。
——補記:この一篇と 中原圭一の日曜日の夕方 は対になっています。同じ夕方の、重ならない一時間ずつ。二人は入口ですれちがい、会釈だけを交わします。どちらの側にも、相手の事情は最後まで伝わりません。