弾けないんです、と言った日(第二稿)
調律師三年目、初めての一人仕事で

ツカモトハルオ(63歳・ピアノ調律師40年)

鞄にはチューニングハンマーと、ラ=四四〇ヘルツの音叉が入っている。音叉を膝で鳴らし、その音と弦を合わせる。二本の弦が同じ高さになると、うなりが消える。私の仕事は、このうなりを消すことだ。弾くことではない。

初めて一人で仕事に出たのは、一九八九年四月十一日。見習いを終えて三年目だった。日付を覚えているのは、その日が私の何かが変わった日だからだ。郊外の、アップライトのある家だった。十年調律していないと聞いていた。

梅雨前で、部屋は湿っていた。湿気を吸ったフェルトは固まり、打鍵が重い。蓋を上げると、象牙鍵盤は端から黄ばんでいた。私はいつもの癖で、まず全部の鍵盤を押す。鍵盤の下から、消しゴムが一つと、片方だけ赤いビニールの錆びたヘアピンが二本、転がり出た。十年分の埃をかぶっていた。私はそれをハンカチに包み、ピアノの上に置いた。上には家族の写真立てと、白いレースの敷物があった。

中央のラのすぐ上のドが、四二八まで下がっていた。半音の三分の一近い。低音の三本弦は互いにずれて、和音を鳴らすと一秒に二回、うなりが返ってきた。私はハンマーをピンに掛け、音叉の四四〇を基準に、一本ずつうなりを止めていった。三時間。終わったとき、私の耳には部屋がしんとして聞こえた。うなりが消えると、ピアノは静かになるのではなく、まっすぐになる。

道具を片づけ、依頼主のお母さんに、終わりましたと告げた。その人は嬉しそうに言った。「せっかくですから、何か弾いてくださいな」。私は、弾けないんです、と答えた。本当だった。バイエルの一番すら、最後まで弾けない。お母さんは、えっ、という顔をした。沈黙が落ちた。レースの上で、写真立ての家族が笑っていた。

その沈黙を、奥から出てきた小学生の女の子が破った。娘さんだった。椅子に座り、バイエルを一曲、たどたどしく弾いた。指は何度も止まった。だが私は、私の合わせた四四〇の上で、その音が鳴っているのを聴いていた。中央のラが、まっすぐ立っている。さっきまで四二八だったドが、いま、この子の止まりがちな指で鳴っている。三時間前に私が消したうなりの跡を、私は初めて、自分の手以外のものが鳴らすのを聴いた。

その家を出るとき、お母さんが月謝袋を娘さんに渡しているのが、玄関から見えた。ピアノの上の写真立て、レースの敷物、そして月謝袋。あの日から私は、家に上がると、ピアノより先にその上に置かれたものを見る。誰の指のために自分がうなりを止めるのか、それはたいてい、鍵盤ではなくピアノの上に置いてある。

四十年近く、家庭のピアノを調律してきた。直したピッチは数え切れない。覚えているのは、ヘアピンの錆と、四二八まで下がっていたあのドと、たどたどしいバイエルだ。私はいまも、弾けない。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。