ツムラサエ(36歳・新幹線の車内清掃9年)
終着駅に着いた新幹線は、数分後には逆方向の始発になる。その切れ目に私たちは乗り込む。一編成の座席を回し、ゴミを集め、テーブルを拭き、忘れ物を確かめる。持ち時間は七分前後。九年、私はこの七分を回してきた。
入ったのは2017年、二十七歳のときだった。最初の研修で、先輩に言われた。「急ぐな。順番を守れ。順番が速さだ」。七分しかないのに急ぐなと言う。意味は一週間で体に来た。テーブルを先に拭くと、座席を進行方向へ回した拍子に、いま拭いたテーブルがまた汚れる。だから座席が先、テーブルが後。順番を間違えた日は、決まって七分に間に合わなかった。焦る人ほど、遅い。
座席の回転レバーは肘掛けの根もとにある。踏んで体重をかけ、三列を一斉に向ける。最初の一週間は、屈んで位置を目で探していた。それで一席ぶん遅れる。一か月で、足がレバーの場所を覚えた。屈まなくなった日に、自分が一人前のほうへ一歩入ったのがわかった。
忘れ物にはタグをつける。号車と座席番号と時刻を書いて、遺失物の窓口へ回す。ゴミ袋は片手でひねって結ぶ。中身が見えないように、けれど窓口で開けて確かめられるように、固結びにはしない。決まりには全部、理由がある。理由のない手順は、七分の中で最初に消える。
清掃が終わると、ホームに一列に並んで、入ってくる乗客に頭を下げる。最初は、きれいにしましたという宣伝だと思っていた。ある日、先輩が言った。「あれは見られるからじゃない。区切りだからだよ」。それきり先輩は何も足さなかった。次の車体が入ってきて、私たちは頭を下げた。
連休の最終日は、車内が重い。背もたれは深く倒れたまま、テーブルには飲みかけが残り、ゴミ袋がいつもの倍ある。腰が先に疲れを知らせてくる。誇らしいとは思わない。ただ、楽しい時間の最後の十分を、みんなこの座席に置いて降りていくのだな、と片づけながら思う。
その日、ある窓側の席だけ、背もたれが起きていた。三列のうち、その一つだけ。テーブルには未開封のお茶。隣にはひざ掛けが畳んで置かれていた。倒さず、飲まず、畳んで降りた人。終点まで背筋を伸ばして座っていた誰かが見えた気がして、私は背もたれだけ倒し、ひざ掛けにタグをつけた。座席の起き方ひとつで、降りた人が一人、読める。それが私の七分になった。
九年、回した座席は数え切れない。覚えていない。覚えているのは、起きたままの一席と、畳まれたひざ掛けのほうだ。今日も折り返しの七分が来る。私は手袋をはめる。