ツツミレイナ(39歳・ホームセンター合鍵係15年)
合鍵を作る仕事を十五年続けている。カウンターの内側に立つと、お客さんがそっと差し出す一本の鍵がある。私はそれを受け取って、ブランクキーの棚から同じ形のものを選び、機械にセットする。元鍵を左、削るほうを右。この左右を間違えないようになるまで、半年かかった気がする。
鍵というのは、いちばん小さな個人情報なのだと思う。鍵山の凹凸をなぞれば、何枚のディスクが入った錠前か、だいたい見当がつく。本数を見れば、その家に何人住んでいるかも、想像できてしまう。できてしまうけれど、しない。そう決めるまでに、わりと時間がかかった。
二〇一一年、入りたての秋のことだった。夕方の店内には木材とペンキの匂いがうっすら漂っていて、合鍵コーナーにだけ、キーマシンの削り粉が金属の匂いを立てていた。研磨の火花が、傾いた西日にきらきらと舞って光っていた。私はその光をきれいだと思いながら、刃に鍵を当てていた。
その日、若い男の人が一本の鍵を持ってきて、「もう一本お願いします」と言った。「もう一本」という言い方には、いろいろなものが映る。同居が始まるのか、なくしたときの保険か、誰かに渡す相手ができたのか。私はまだ一年目で、つい想像してしまう癖が抜けていなかった。彼の表情は、たぶん明るかったと思う。
機械に元鍵をセットして、ブランクキーを固定して、レバーを下ろした。削り粉がぱらぱらと受け皿に落ちる。鍵山を照合して、バリ取りのヤスリで縁をなでる。合鍵は、その場で試し差しができない。本当に開くかどうかは、お客さんが家のドアに差すまで分からない。だから渡すときはいつも、少しだけ不安が残る。
その彼が、十分ほどして戻ってきた。出来上がったばかりの合鍵を、カウンターにそっと置いて、「やっぱりキャンセルで」と言った。理由は言わなかった。私も、訊かなかった。本数が一本減るということが、その人にとって何を意味するのか——同居がなくなったのか、渡すはずの相手がいなくなったのか——想像はいくらでもできた。でも私は、その想像を全部のみこんで、「かしこまりました」とだけ言った。
削ってしまった合鍵は、もう元には戻らない。私は彼の鍵を、回収箱に入れた。あの一本は、どこにも差されることのない鍵になった。あのとき初めて、私は「聞かない」という仕事の仕方を覚えたのだと思う。鍵は預かるけれど、その人の事情までは預からない。
それから十五年、私は注文の言い回しの観察者になった。「複製禁止」と刻印された鍵を、申し訳ありませんと断るときの言い方も覚えた。卒業して家を出た子の鍵を、「記念にもう一本」と作りにくる親もいる。みんな、鍵という小さなものに、言葉にしない何かを乗せてやってくる。
合鍵は、人生の合図なのだと思う。一本増えるのは始まりの合図で、一本減るのは終わりの合図だ。私はその合図を、毎日カウンターの内側で受け取っている。何も聞かず、ただ機械に鍵をセットして、「かしこまりました」と言う。あの西日に舞った削り粉が、私を観察者にしてくれた。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。