ツヅキミオ(29歳・博物館の標本士7年)
死んだ生き物を、百年残る形に整えるのが私の仕事だ。生きていた姿勢を、ピンと綿で再現する。いまは鳥が多い。昆虫の展翅とちがって、鳥には目を入れる。義眼を一段大きく選ぶと、同じ皮でも別の鳥になる。
剥製は皮を剥ぐところから始まる。胸から腹に切れ目を入れ、肉と骨を中身ごと外し、皮を手袋のように裏返して抜く。私の一羽目はヒヨドリで、皮を裏返したとき、嘴の付け根の薄い皮を爪で破った。穴は綿で塞いだが、いまも展示室でその一羽の前を通ると、私の目はまず嘴の脇に行く。皮は紙より薄く、引いた方向に裂ける。これは番手の話と同じで、力ではなく方向の問題だった。
残った皮の内側に防腐の処理をして、綿と木毛で人工の胴を作る。首には針金を一本通して芯にする。針金の太さは鳥の大きさで決まっていて、細すぎれば首がうなだれ、太すぎれば角度が固まって直せない。生時の写真を横に置き、首をどこで曲げるかを針金のうちに作り込む。皮をかぶせてしまえば、もう中の針金は触れない。だから曲げるのは、かぶせる前の一度きりだ。
義眼にはカタログがある。種ごとに虹彩の色が違うから、赤、黄、焦げ茶が番号をふられて並ぶ。ヒヨドリは赤褐色、番号でいえば中ほどの一つ。色だけでなく径も選ぶ。生時の写真と照らし、瞳の径を測って、半ミリ刻みの義眼を選ぶ。窩に粘土で留め、二歩下がって見る。径が半ミリ大きいだけで間が抜け、小さいと別の獰猛な鳥になる。だから私は、自分が見て決めるのではなく、写真の径に合わせる。展翅の角度を好みで決めなかったのと、同じことだ。
姿勢は私が決めるのではない。展示の目的が決める。生態を見せる展示なら枝に止めて首をかしげさせ、羽の模様を見せる展示なら翼を広げて畳む筋を伸ばす。同じ一羽が、展示の都合で別の姿勢になる。私は決められた姿勢の関節を、写真の通りに通すだけ――いや、通す。好みは脇に置く。
最後に羽を整える。頭から首、肩から風切羽へ、いちばん外の初列風切の先端まで。この順でなければ羽は寝ない。記憶のせいではない。羽は屋根瓦のように後ろの一枚が前の一枚に重なって生えているから、後ろから前へなぞれば瓦が伏せ、前から後ろへ逆立てれば瓦が起きる。理由は構造にある。生きていた手順をなぞっているのではなく、生えている順に従っているだけだ。
剥製になる鳥の多くは、窓に衝突して死ぬ。透明なガラスを空と読み違え、全速力でぶつかる。死体には記録票がついてくる。鉛筆書きで、拾得地、日付、拾得者。死因の欄は略号で、「WS」――window strike。私はその票の文字を、新しい台紙に万年筆で書き写す。鉛筆は消える、インクは残る。書き写し終えると、その鳥は標本番号を一つもらう。ここから先、この一羽は資料として、たぶん私より長く生きる。
先日、戦前のラベルの一羽の中を、修復のために開けた。先人の針金が出てきた。いまの私たちは首に一本だが、その人は首の角度を支えるために針金を二重に巻いていた。番手も巻き方も違う。それでも首の曲がる角度は、生時の写真と寸分違わなかった。会ったことのないその標本士が、皮の内側の、誰も見ない場所で、何度かを指で測っていた。私はその二重巻きを、ほどかずに残し、足りない綿だけを足して閉じた。
その一羽を展示室に戻した日、子どもが前に立って「生きてるみたい」と言った。私は嘴の脇の綿のことと、皮の内側で二重に巻かれたままの針金のことを考えていた。子どもにはどちらも見えない。見えているのは、写真の通りの赤褐色の目と、初列風切の先端まで伏せた羽だ。私は標本票の続きを書きに、制作室へ戻った。