ピンの、角度
標本制作室に入った年、正しい姿勢を覚えるまで

ツヅキミオ(29歳・博物館の標本士7年)

死んだ生き物を、百年残る形に整えるのが私の仕事だ。生きていた姿勢を、ピンと綿で再現する。標本士になって七年。この仕事に就いたのは二〇一九年、二十二歳の春で、自然史系博物館の標本制作室に、私はいちばん下っ端として入った。

最初に任されたのは、昆虫の展翅だった。展翅というのは、虫の翅を左右に広げて、乾くまで固定する作業のことだ。柔らかい展翅板に虫を置き、胴を一本のピンで留め、薄いテープで翅をそっと押さえて、形を決める。命の輝きを永遠にとどめる作業なのだと、入ったばかりの私は、どこかうっとりしながら思っていた気がする。

けれど私の最初の一頭は、ひどいものだった。きれいに広げようと欲を出して、翅を引っぱりすぎ、右の後翅の付け根を裂いてしまった。標本室には乾いた紙と、防虫剤のかすかに甘い匂いが静かに満ちていて、私はその匂いの中で、しばらく手を止めていたように思う。

見かねた先輩が、私の手元を覗き込んで言った。「きれいに広げるな。正しく広げろ」。私が黙っていると、先輩は続けた。「図鑑のポーズは人間の都合だ。研究者が測りたいのは、関節の位置だぞ」。前翅の後縁を体軸に対して直角に。後翅はその下に少しだけ。決まった角度がある。美しいかどうかではなく、後で誰かが計測できるかどうか。標本は飾りではなく、研究の道具なのだった。

もうひとつ叩き込まれたのが、ラベルだった。標本の足元には、小さな紙片が二枚刺さる。一枚目に採集地と日付と採集者、二枚目に学名。これがないものは標本ではない、ただの死骸だ、と先輩は言った。どんなに完璧に展翅された虫でも、いつ・どこで・誰が採ったかが分からなければ、研究には一ミリも使えない。データのほうが、虫の本体なのかもしれない、とそのとき思った。

標本士のもうひとつの仕事は、防虫だ。標本を食う虫がいる。カツオブシムシの類で、彼らは乾いた虫の体を内側から食い荒らし、気づいたときには台座の上に茶色い粉だけが残る。だから収蔵庫には防虫剤を入れ、定期的に交換する。虫を残すために、虫を殺す薬を撒く。この仕事のいちばん皮肉なところを、私はわりと早くに知った。

ある日、先輩に収蔵庫の引き出しを開けてもらった。百年前の標本が並んでいた。翅は淡く褪せ、黒かったはずの体は赤茶けて、ラベルの文字も薄れかけていた。けれど展翅の角度は、いまの私たちと寸分違わなかった。百年前の標本士の、ピンを刺す手つきが、その角度から読めた。私は会ったこともないその人の手を、引き出しの中で確かに見ていた。

それから少しずつ、私の手は変わっていったのだと思う。きれいに、ではなく、正しく。広げたいように、ではなく、測れるように。自分の感じ方をいったん脇に置いて、対象の関節の都合に合わせる。そういう手つきが、虫を相手に身についていった。

あれから七年、私は正しい姿勢の観察者になった。死んだものを前に、自分の感情を急いで足さず、まず角度を測る。生きていた姿勢を、私の好みではなく、その生き物の関節の通りに残す。標本制作室で覚えたあのピンの角度が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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