収蔵庫の、引っ越し(第二稿)
何万点の標本を、壊さず隣の建物へ移す数か月

ツヅキミオ(29歳・博物館の標本士7年)

死んだ生き物を、百年残る形に整えるのが私の仕事だ。生きていた姿勢を、ピンと綿で再現する。けれどこの春、私は一点も作らなかった。空調を入れ替える三か月、すでに作られた標本を、隣の新館へ移していた。台帳に載っているのは、四万二千点と少し。

梱包は標本ごとに別の設計だ。展翅した蝶は触角が折れる。台座ごと箱に固定し、触角の側にだけ空間を残す。剥製は羽の重なる向きに頭を奥へ寝かせる。やっかいなのは液浸標本で、瓶を傾けると中の液体が動き、ひれや触手が壁にぶつかって崩れる。だから一本ずつ綿でくるみ、立てたまま、台車に固定して運ぶ。揺らさない、が唯一の手だった。緩衝材は五ミリと決めた。迷う時間はなかった。蝶の箱だけ、触角の側を七ミリにした。

運びながら、台帳と現物を一点ずつ照らした。引っ越しでもなければ、四万点を全部開けて数えることなどない。第十七棚の鞘翅目で、番号が三つ飛んでいた。台帳には学名と採集地があるのに、抽斗のその位置が空いている。脇に古い鉛筆書きの付箋が一枚――「昭和十九年 疎開」。戦中にどこかへ移され、戻らなかった三点だった。私はその付箋を捨てず、空いた位置にそのまま戻した。番号を詰めれば抽斗は埋まるが、三点が消えたことも消える。

運搬の箱には、ボタン電池ほどの温湿度ロガーを一つずつ入れた。乾けば剥製がひび割れ、湿ればカビが回る。新館に着いてログを吸い出すと、ある午後の二時十分、湿度が十二パーセント跳ねていた。場所は渡り廊下の中ほど。前夜の雨で外気が入る一角だった。読んでから、私は台車の経路を変えた。以後、雨の翌日は渡り廊下を通さず、空調の効いた内側を遠回りさせる。ロガーは不安を覚えてはくれない。跳ねた時刻と場所を残すだけだ。判断はこちらがする。

第三十一棚のいちばん奥を引いたら、台帳のどこにも番号のない木箱が一つ、奥の板に押しつけられていた。中には古いラベルの甲虫が、展翅されないまま、紙の上に並べてあった。ピンは胴に対して直角に立っていた。いまの私たちと同じ角度だ。整理しかけて、途中でやめた誰かの手が、その直角から読めた。ラベルの日付は私が生まれる前。会ったことのないその標本士の仕事を、私は引き継ぐ側になった。木箱は、新館で私の机の脇に置いた。

新しい収蔵庫に、どの順で並べるか。分類順なら研究者は探しやすいが、棚の高さは決まっていて、大きな剥製と小さな昆虫箱が同じ段に収まらない。サイズ順なら段は埋まるが、近縁の種が散る。私は大きな分類の枠を棚単位で守り、棚の中だけサイズで詰めた。探す人は分類で棚まで来られ、棚の中は目で追える。好みではない。研究者がノギスを当てに来る動線で決めた。展翅の角度を好みで決めなかったのと、同じことだ。

最後の抽斗を新館へ運び込んだ日、空になった旧収蔵庫に一人で戻った。棚は外され、ただの広い部屋だった。乾いた紙と、わずかな防虫剤と、古い木の匂いが、まだ床に残っていた。私はその匂いのなかで、机の脇の木箱のことを考えていた。あの甲虫は、まだ展翅していない。直角に立った先人のピンを抜くか、そのまま整理するか、私はまだ決めていない。それを決めに、私は新館の制作室へ戻った。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。