圧の、深さ
活版に入った年、紙と活字の喧嘩を覚えるまで

ツヅラフミ(56歳・活版印刷職人34年)

活版の仕事を三十四年続けている。鉛の活字を拾い、組み、圧をかけて刷る。指の腹はいつもうっすら黒く、爪の間のインキは石鹸では落ちない。刷り上がった紙を裏返して、指でそっとなぞる。言葉に重さがあった時代の続きを、私はいまも刷っているのだと思う。

活版印刷というのは、要するに凹凸の商売だ。鉛で作った活字の、出っ張った文字の面にインキを乗せ、紙を押しつける。すると紙の裏には、ごくわずかな凹みが残る。指の腹が覚えているくらいの、浅い凹み。オフセットにはそれがない。平らな版から平らに写すから、紙はどこまでも平らなまま仕上がる。

私が町の活版印刷所に入ったのは一九九二年、二十二歳の秋だった。すでにオフセットが全盛で、活版は「古い」「遅い」と言われ始めた頃だったと思う。それでも親方の所には、名刺と封筒の仕事が途切れずに来ていた。町の印刷所の定番、商売の中心の小物。最初の三月、私はひたすら文選箱を抱えて、棚の前を往復していた。

文選というのは、原稿に書かれた文字を、活字の棚から一本ずつ拾っていく作業だ。棚には何千という鉛の活字が、使う順に並んでいる。よく出る字は手前、めったに出ない字は奥。原稿を左手に、文選箱を右手に、目で字を追い、指で拾う。速い人は、原稿を見ずに棚だけ見て拾えるという。私の手は、なかなか覚えてくれなかった。

拾った活字は、ステッキという金属の道具の上に組んでいく。文字と文字の間、行と行の間には、込め物を入れる。クワタ、インテルと呼ばれる、文字よりわずかに低い鉛の塊。インキが乗らないから、紙には刷られない。つまり余白も、鉛でできている。何も印刷されていない白い部分が、実は重さのある金属で支えられているというのは、考えてみれば不思議なことだったかもしれない。

入って半年ほどした頃、初めて手キンを任された。手キンは、一枚ずつ刷る小さな機械だ。レバーを引くと版と紙が合わさり、戻すと離れる。引いて、戻して、紙を替えて、また引く。そのリズムが体に入るまで、私は何度も紙を斜めに置いた。輪転機のように連続して回るのではない。一枚、一枚、押しては離す。

あるとき刷った名刺を、親方が一枚つまみ上げて、裏を指でなぞった。そして言った。「活版は圧だ。強けりゃ裏に抜ける、弱けりゃ載らない。紙と活字の間の、ちょうどいい喧嘩をさせろ」。圧が強すぎれば、活字が紙を突き破るように沈んで、裏まで凹凸が抜ける。弱ければ、インキが紙にちゃんと移らず、文字がかすれる。その加減は、紙の種類で変わる。厚い名刺用紙と薄い封筒では違う。同じ紙でも、活字が摩耗していれば変わる。決まった数字はない。一枚刷っては裏を見て、込め物を足したり、敷きを調整したりする。喧嘩を、ちょうどよく仲裁する。

近頃は、活版がちょっとしたブームらしい。若い人が、結婚式の招待状や店のカードを活版で刷ってほしいと言って来る。面白いのは、その注文の多くが「凹みを深く」と言うことだ。指でなぞって、はっきり凹みがわかるくらいに。私が修業の頃、深圧は失敗だった。裏に抜けた名刺は刷り直しだった。嫌われていた深い圧が、いまは「味」と呼ばれて注文される。同じ凹みが、時代によって失敗になったり、味になったりする。

あれから三十四年。私は圧の深さを見つめ続ける、いわば観察者になったのだと思う。活版とは文字を刷る仕事だと思われがちだが、本当は、紙と鉛の間の喧嘩をちょうどよく収める仕事なのだと、いまでは思う。強すぎず、弱すぎず。あの日親方が裏を指でなぞった一枚が、圧の深さが、私をいまの私にしてくれた。今日も手キンのレバーを引いて、戻して、一枚ずつ、紙の裏を見ている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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