ウキタジュンペイ(35歳・信号機の保守点検員13年)
灯器の交換は、深夜にやる。交通量がいちばん少なくなる時間帯を選んで、その交差点の信号を一度消して、新しい灯器に付け替える。昼間にはできない仕事だ。誰もが従い、誰も見ていないものを、誰も見ていない時間に直す。それが、この仕事のいちばんの仕事なのかもしれない。
静まりかえった深夜の交差点には、昼間とはまるで違う種類の静けさが満ちていた。作業のために、まず警察に道路使用許可を取る。何時から何時まで、どの交差点を、どう規制するか。許可された時間帯は、たいてい午前一時から四時くらいの、いちばん車が来ない数時間だ。誘導員を配置し、高所作業車を据え、コーンを並べる。準備が整うと、いよいよ信号を消す。
信号が消えると、その交差点は「信号のない交差点」になる。青も赤もない、ただの十字路だ。そこへ車が来ると、止めるのも流すのも、誘導員の手旗になる。赤い旗を上げれば止まれ、振れば進め。機械が止まると、人が信号になる。それがこの仕事なのだ。手旗一本が、さっきまで光っていた灯器の代わりを務める数十分が、私はなぜか嫌いではない。
高所作業車のバケットに乗って、灯器の高さまで上がる。古い灯器を外し、新しい LED の灯器を取り付ける。LED に替わってから、灯器はずいぶん軽く、薄くなった。電球の時代の灯器は、両手でやっと抱えるような重さだったが、いまのは片手で持てる。技術は進んだのだと、バケットの上で思う。けれど進歩は、いつも新しい問題を連れてくるものらしい。
雪国の話を、先輩から聞いたことがある。電球の灯器は、点いているだけで熱を持つから、レンズに積もった雪が溶けた。ところが LED は発熱しない。だから雪がそのまま積もって、信号が見えなくなる交差点が出てきた。それで、ヒーターを内蔵した灯器や、雪のたまりにくい平らなレンズが新しく作られた。一つの問題が消えると、一つの問題が生まれる。進歩とは、たぶんそういうことなのだろう。
外した古い灯器は、トラックに積んで持ち帰る。あれがそのあとどこへ行くのか、正直なところ、私はあまり考えたことがない。倉庫には、まだ電球式の交差点のために、交換用の電球の在庫が棚に並んでいる。だんだん使う場所がなくなっていく電球が、それでもまだ捨てられずに、箱の中で出番を待っている。いつか全部 LED になれば、あの電球たちの行き場もなくなるのだろう。
取り付けが済むと、夜明け前に点灯試験をする。新しい灯器に電気を通して、青・黄・赤を順番に灯していく。青がつく、黄がつく、赤がつく。誰もいない交差点で、ひとつずつ確かめる。この、誰も見ていない交差点で色を順に灯す数分が、私にはどこか儀式のように感じられる。町が眠っているあいだに、新しい目がひとつ、開く。
規制を解いて、信号を本稼働に戻す。誘導員が手旗を下ろし、機械が交差点を引き継ぐ。しばらくすると、その夜の最初の一台が、新しい青で交差点を通り抜けていった。運転手は、灯器が今夜替わったことなど、たぶん知らない。知らないまま、新しい青に従って、走り去っていく。それでいいのだと思う。気づかれないことが、私たちの仕事がうまくいった証なのだから。
機械が止まると人が信号になり、人が下がるとまた機械が信号になる。誰も見ていない時間に灯器を替えて、誰にも気づかれずに朝を迎える。それがこの仕事なのだ。十三年やってきて、私はいまも、夜明け前の点灯試験で青がつく瞬間が、いちばん好きだ。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。