ウメガキリン(22歳・植物園の温室係4年)
植物園の温室で働いて四年になる。来園者がガラスの扉を押して入ってくるのは九時半。けれど私たちは六時前に裏口から入る。緑の楽園に朝の光が差し込むその前に、温室には来園者の知らない音がある。それを聞き分けられるようになるまで、まる一年かかったように思う。
二〇二二年、高校を出てすぐにこの植物園に入った。十八歳だった。配属は熱帯温室。北国の冬に、赤道の植物を生かしておく場所だ。外が氷点下の朝でも、扉を一枚隔てた内側は二十五度、湿度八十パーセントに保たれている。最初の冬、先輩に言われた。「温室は建物じゃない。装置だよ。植物のための気象を、毎日ここで作ってるんだ」。その言葉が、いまも体の芯に残っている。
朝いちばんの仕事は、音を聞くことだった。天窓の開閉モーターが、設定温度に合わせて低く唸る。ミストのノズルが、タイマーの刻みでシュッ、シュッと霧を吐く。いちばん大きいのはボイラーの配管の膨張音で、温水が回りはじめると、配管が伸びて、家鳴りのようにパキ、パキと鳴る。最初の頃、私はその音にいちいち驚いていたのだと思う。
圧力計の針、遮光カーテンのモーター、ランの名札の並び。覚えることは多かった。なかでも難しかったのが、湿度の管理だ。数字は壁の計器が教えてくれる。けれど先輩は計器をあまり見なかった。バナナの大きな葉に溜まった結露が、ぽたり、と落ちる。その音の間隔で、いまの湿度がだいたいわかるのだという。私には、しばらくそれが信じられなかった。
その年の冬、私は鉢をひとつ枯らした。原産地メキシコの、名札に学名の書かれた多肉植物だった。夜間の最低温度の設定を、私が一度、戻し忘れていた。報告書を書くとき、手が重かった。植物は、枯れてはじめて「世話をされていた」ことが、形になって分かる。生きているあいだ、それは当たり前の緑として、そこにあっただけだったのに。
九時半、扉が開く。来園者が入ってくる。そのなかに、毎朝いちばんに来る老人がいた。杖をついて、まっすぐ奥のランの温室へ行き、同じ一鉢の前に立つ。白い小さな花をつけるランだった。何分も、ただ見ている。私はその姿を、霧の向こうから、毎朝のように眺めていた。
春が来る頃、私はようやく、結露の落ちる音で湿度が分かるようになっていた。ぽたり、の間隔が開けば乾いてきている。詰まれば足りている。計器を見る前に、体が先に分かる。あの先輩の言っていたことが、やっと自分のものになった気がして、少し誇らしかったように思う。
以来四年、私は温室の音の観察者になった。来園者が見る緑の楽園の、その裏側で鳴りつづけている装置の音を、私は知っている。モーターの唸り、霧の刻み、配管の家鳴り、そして結露の落ちる音。朝の、温室。あの一年が、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今朝も、私はいちばんに扉を開ける。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。