箔打ちの、紙(第二稿)
工房に入った年、金より紙だと言われた日

ウネメヒロ(44歳・金箔職人22年)

金を打つ仕事を二十二年している。一枚の小判ほどの金を、一万分の一ミリまで延ばす。指では触れない。触れた瞬間に金は破れ、皮膚に貼りついて消える。竹箸と、自分の息だけが道具だ。

二〇〇四年の春、二十二歳で工房に入った。最初の半年、金には触らせてもらえなかった。任されたのは掃除と、箔打ち紙の整理だ。藁灰の灰汁と柿渋で仕込んだ手漉きの和紙で、嗅ぐと、渋柿を干したような、舌の奥が締まる匂いがした。なぜ金箔屋にこんなに紙の束があるのか、半年のあいだ訊けなかった。

金は澄(ずみ)という薄片にしてから、打ち紙に一枚ずつ挟む。挟んだ紙を約千八百枚重ね、革で包んで機械の槌にかける。音は「ドン」ではない。一秒に何度も叩く、硬くて速い、カンカンという連打で、夕方には耳の奥が痺れた。金は紙の上で、紙の表面の平らさのとおりに延びる。だから紙がすべてだ。荒れた紙は荒れた箔をつくる。

入って一年目の夏、私が打ち紙を雑に積んだ。親方が槌を止めて、こちらを見た。「金より紙だ」と言った。私が黙っていると、続けた。「箔の出来は打ち紙が決める。金はどこの金でも金や。紙を育てるのが箔屋の仕事や」。育てる、という言葉を紙に使うのを、私はそのとき初めて聞いた。

打ち紙は、打つほど育つ。新しい紙では金がうまく延びず、何度も打ってこなれた紙ほど、薄く均一な箔を生む。そして寿命が来る。退け時は、紙を斜めに透かすと分かる。育った紙は表面が鈍く均一に光るが、寿命の近い紙は、薄く油を引いたように一面が黒ずみ、繊維の目が浮いてくる。その紙で打つと、箔に細かな筋が残る。退いた紙は売られて、あぶらとり紙になる。化粧ポーチのあの紙は、金を延ばし終えた紙だ。

打ち上がった箔は、竹箸で縁をすくい、革を張った板の上で扱う。息でも飛ぶから、自分の呼吸を止めて移す。湿度が四割を切ると箔が割れ、七割を超えると紙が湿気を吸って狂う。だから工房の湿度計の針を、私は一日に何十回も見る。夏は除湿機、冬は霧吹き。職人が管理しているのは金ではなく、空気と紙のほうだ。

三年前、ある寺の本堂の須弥壇の修復で、間口六尺の框に押す箔の注文が来た。納期は四か月、剥がしてみると下地に残っていた古い箔は、煤を吸って赤茶けた、いまの金とは違う色をしていた。何十年に一度の仕事だと親方は言った。私が押した箔も、いつか赤茶けて、誰かが剥がす日が来る。そのとき紙の話を知る職人が、まだいればいい。

二十二年で打った金の量は覚えていない。覚えているのは、退けた紙のほうだ。透かすと一面が黒ずんで見えた、あの何十枚。今日も湿度計の針を見て、束を一つ、黙って横へ退ける。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。