断ち切りの、革
打ち上がった箔を、寸法に断つ仕事

ウネメヒロ(44歳・金箔職人22年)

金を打つ仕事を二十二年している。一万分の一ミリまで延ばした箔は、息で飛ぶ。だが箔は、打ち上がっただけでは商品にならない。縁は不揃いで、厚みもまだ均してはいない。打った箔を規格の寸法に断ち、検め、等級を分けて、はじめて世に出ていく。今日は、その仕上げの話をしたい。

断つ場所には、金属の刃は一本もない。包丁も鋏も使わない。使うのは、鹿革を張った板と、竹で組んだ枠だ。金属に触れれば、箔はそこに貼りついて消えてしまう。だから箔の世界は、最後まで金物を寄せつけない。打ち上がった箔を、まず革板の上に移す。鹿革は、なめした面のきめが細かく、しっとりと箔を吸いつけて、それでいて離すときには名残なく離す。この革を「箔合わせ革」と呼ぶ。冬の乾いた日には革が反るので、息をかけて湿し、手のひらで温めてから使う。

断ちは、竹枠を箔の上にそっと載せ、枠の縁に沿って息を当てて切るようにする。竹の角がわずかに箔を押さえ、不要な縁がふっと離れていく。きれいに断つと、切り口がまっすぐ立つ。仏壇の金具用は三寸六分角、工芸用はもっと大ぶり、食用の薄箔はまた別の寸法と、注文ごとに枠を替える。寸法の違いは、そのまま用途の違いだ。私は枠を持ち替えるたびに、この箔がどこへ行くのかを思う。

断ち落とした端は、捨てない。革板の上に散った金の欠片を、羽根箒で一か所に寄せ集める。集めた端切れは、あぶらとり紙の原料になったり、金箔入りの酒や菓子に化けたりする。一万分の一ミリの金は、欠片になってもなお金だ。台所のラップに残ったバターを指でぬぐうように、私たちは飛んだ金の一片も惜しむ。金は決して無駄にならない――この仕事に入ってから、私はそのことを身体で覚えた。

断った箔は、一枚ずつ光にかざして検める。これが検品だ。窓からの光、あるいは検査灯の前に箔を立てて、向こうの光を透かして見る。穴があれば、そこだけ星のように白く抜ける。厚みにムラがあれば、薄い所が雲のように明るみ、厚い所が翳る。均一に育った箔は、一面が同じ鈍さで光る。打ち紙の良し悪しが、ここで最後に試される。穴の出た箔は、また端切れの箱へ落ちていく。

箔には等級がある。金と銀と銅の配合で、色が変わるのだ。純金に近いものから順に、一号色、二号色、三号色と分かれていく。銀が増えれば青みを帯びて白っぽくなり、銅が増えれば赤みが差す。仏壇には深い一号色、工芸品には用途に合わせた色、と注文は様々だ。色の規格は数字で言い表せるけれど、隣り合わせて見比べると、たしかに違う顔をしている。私はその違いを、数字より先に目が覚える。

食用の金箔だけは、扱う場所も道具も分けている。工芸用の箔と同じ作業場では断たない。口に入るものだから、衛生の基準が別にあって、革板も枠も食用専用のものを使う。工芸と食品のあいだには、見えない一本の線が引かれていて、その線を越えさせない。同じ金でも、行く先が口の中か仏壇かで、扱いはまるで変わる。金は無駄にならないけれど、無秩序に混ぜてよいわけでもない。

一日の終わりには、作業場を掃除する。といっても、ただ汚れを払うのではない。床にも机にも、断ちのあいだに飛んだ金の欠片が、目に見えぬほど散っている。それを箒で集め、塵取りに取り、回収の箱へ移す。掃除もまた、回収の仕事なのだ。職人は最後に、自分の散らした金を拾って一日を終える。床を掃きながら、私はいつも思う。この仕事は、延ばすことと、断つことと、拾うことで、できている。

金を打つことばかりが職人の仕事だと、世間は思っているかもしれない。けれど打った金を、寸法に断ち、光に検め、色で分け、欠片まで拾い集める――その全部があって、はじめて一枚の箔は世に出る。欠片まで金なのだ。床に落ちた一片も金なのだ。そうやって金を一片も無駄にしない仕事のなかに、私は二十二年いる。明日もまた、革板に箔を移し、竹枠を載せ、息で断つ。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。