アンドウユイ(教務アシスタント)
会議が終わったあと、議事録を整えていると、ときどき紙面の静けさに驚く。発言者、配布資料、審議事項、確認事項。そこには確かに会議で使われた言葉が並ぶのに、あの場で実際に決まったことの手触りは、するりと抜け落ちている。大学の会議では、とくにそのずれが大きい。発言そのものより、誰が引き取り、どこまで持ち帰り、次にどの順番で話を通すかで、結論の輪郭が固まるからだ。記録に残るのは文であり、動きではない。その差が、あとからじわじわ効いてくる。
たとえば議事録には「カリキュラム改訂案について意見交換を行った」「継続審議とした」と書ける。文字としては正確で、角も立たない。けれど会議室では、その一行より前に、すでに進み方がほぼ定まっていることがある。ある先生が資料の余白に赤字を入れ、別の先生が「その方向なら異論はありません」と短く添え、委員長が視線だけでうなずく。ここで決まるのは賛否だけではない。誰が案を磨くのか、どの論点はもう蒸し返さないのか、次に口を開く人は誰なのか、そうした配役まで決まっている。議事録の「継続審議」は、停止ではなく、担当者つきの前進であることが少なくない。
「では、次回までに少し整理しておいてください」
この一文ほど便利で、曖昧で、重さの配分が不均等な言葉はない。表面上は期限の確認に見えるが、実際には作業量も到達点も書かれていない。論点整理だけでよいのか、関係者への事前連絡まで含むのか、差し替え資料の作成まで済ませるのか。その場にいた全員が、同じ日本語を聞きながら、別々の宿題を頭に描いている。しかも、その幅は発言者と受け手の位置関係で変わる。委員長の「整理」は、次に出せる形に整えることを指し、担当者の「整理」は、反対が出にくい順番まで考えることを含みやすい。言葉は柔らかいのに、実務は具体的だ。
教務の仕事では、このずれを読み違えないことが案外重要になる。議事録だけを頼りにすると、「次回までに」は次の会議日までの猶予に見える。だが実際には、その前に学科長へ説明し、非常勤の先生へ確認し、時間割担当と教室配分をすり合わせる必要がある。つまり締切は会議当日ではなく、その準備が始まるさらに手前にある。会議で決まった実質は、正式な文言より先に、段取りの形で外へ出ていく。だから議事録の文末が穏当でも、担当者の予定表だけは急に詰まりはじめる。文字のうえでは保留でも、現場ではもう後戻りしにくい。
議事録に残る文字は、責任の所在を整えるのに向いている。一方で、会議の実質は、誰がどの曖昧さを引き受けたかに宿る。そこには狡さだけでなく、組織が摩擦を抑えながら動くための工夫も混じっている。はっきり言い切れば進まない場面で、少し余白のある言い方が橋になることもある。ただ、その余白は平等ではない。誰かが読み替え、先回りし、抜けた主語を補って進めている。会議後に残る仕事の量が発言時間と比例しないのは、そのためだ。記録を打ちながら確かめるのは、何が書かれたかだけではない。誰が次の一文を背負って席を立ったのか、そこに会議の輪郭がいちばんよく表れている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。