箱の、設計図
設計部一年目、箱ではなく輸送を描くと知るまで

ウオズミショウ(46歳・段ボール箱の設計者22年)

段ボール箱の設計を二十二年やっている。世の中の物は、ほとんど一度は箱に入る。その箱の、寸法と段の種類と罫線の位置を決めるのが私の仕事だ。誰も箱そのものは見ていない。中身を見ている。それでも箱がなければ、中身はどこへも行けない。縁の下の力持ち、とでも言えばいいのだろうか。

段ボールには段の種類がある。A段は厚く、衝撃に強い。B段は薄く、印刷がきれいに乗る。両方を重ねたW段は重い物を守る。中身の重さ、形、輸送される距離と回数。それらを聞いて、どの段で、どんな寸法の箱を作るかを決める。設計とは、中身に合わせて段ボールを選ぶことだと、入った頃の私は思っていた。

二〇〇四年、二十四歳で設計部に入った。最初の数ヶ月は、ひたすら図面を引いた。罫線——折り曲げる位置に入れる筋——の位置を一ミリ単位で決め、組み立てたときに角がきれいに合うように展開図を描く。中身が入って、蓋が閉まって、きちんと箱になる。それで一つ仕事をした気になっていた。

その図面を、先輩がしばらく眺めてから、こう言った。「箱を設計するな。輸送を設計しろ」。意味がわからなかった。先輩は続けた。「箱はな、机の上では生きてない。トラックの荷台の中と、パレットの上で生きるんだ」。それから先輩は、パレットの寸法と、トラックの荷台の内寸を紙に書き出した。

パレットは一一〇〇ミリ角が標準だ。その上に箱を、隙間なく、崩れないように積む。私の引いた箱は、パレットに並べると端に半端な隙間が残った。一段に十一個しか載らない。寸法を詰めれば十二個載る。トラック一台、コンテナ一本で運べる中身の数が変わる。箱の外寸は、中身からではなく、パレットとトラックから逆算するものだったのだ。私はその日、自分が中身しか見ていなかったことを知った。

強度は、机上の計算だけでは決まらない。試験室で、箱を落とす。決められた高さから、角から、辺から、面から落とす。そして潰す。圧縮試験機で上から荷重をかけ、箱がどこで座屈するかを見る。壊れる箱を、わざと壊して見るのだ。壊れ方を知らない設計者は、強い箱を作れない。あの試験室で潰れていった箱の数だけ、私は段ボールの限界を覚えたのだと思う。

箱は、中身によって思想が変わる。青果の箱には、通気のための穴をあける。野菜や果物は収穫されたあとも呼吸し、熱を出す。穴がなければ箱の中で蒸れて傷む。中身が生きている箱、というものがある。穴の数、大きさ、位置で、その呼吸の通り道を設計する。一方、贈り物の箱はまったく別の思想で作る。開けやすさだ。通販が当たり前になって、箱は届いた瞬間に最初に見られる「顔」になった。開封のジッパー、テープを切らずに開く構造。中身を守るだけでなく、開ける体験まで設計する時代になったのだろう。

職業病がある。展示会や店先で、つい箱を見てしまう。あの罫線の入れ方は無駄がない、この通気穴は位置が惜しい、と。一度、大きな物流展で、自分が設計した箱が積まれているのを見つけた。誰も箱を見ていなかった。みんな中身の話をしていた。それでよかった。箱は、見られないことで仕事をしている。

あれから二十二年。私はたぶん、箱を作る人間ではなく、物の流れを見る人間になった。スーパーの棚も、宅配便の伝票も、トラックの荷台も、すべて寸法と強度に見える。先輩のあの一言が、私をいまの私にしてくれた。中身ではなく、輸送を設計しろ。机の上の段ボールは、今日も誰かのところへ運ばれていく。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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