台風の、当直
役所が眠らない夜の、別の顔

ウラベシノ(35歳・市役所の夜間宿直13年)

嵐の夜、役所の灯りだけが町に残る。窓口は閉まっているのに、四階の防災担当の部屋だけが煌々と点いて、雨に濡れた駐車場のアスファルトにその光が滲んでいる。台風が来る夜の市役所は、いつもの静かな庁舎とは別の建物になる。私はその夜の当直に、十三年で何度か当たってきた。

普段の宿直は一人だ。広い庁舎にいるのは私だけで、黒い電話が鳴るのを待っている。けれど台風の夜は違う。夕方の天気図を見て、上司から「今夜は登庁する」と電話が入る。私が当直室に着くころには、もう防災担当が二人、三人と来ていて、四階の一室に「災害警戒本部」の紙が貼り出される。プリンタが回り続け、無線機が低く鳴っている。私の一人の夜に、人が増えていく。

本部が立つと、当直の電話の質が変わる。いつもの「道路の陥没」「街灯が消えた」に混じって、本部からの内線が増える。「○○川、氾濫注意水位に達しました」。「△△地区、避難所開設します」。私は外線と内線の両方を取りながら、本部への取り次ぎと、引き継ぎメモへの記録を続ける。普段なら朝に回すだけの用件が、今夜は十分後に動き出す。仕分けるだけの仕事が、つなぐだけでは済まなくなる。

避難所の開設連絡が来ると、本部の職員が手分けして担当の小学校へ向かう。体育館の鍵、毛布、受付名簿。当直室には、開設した避難所の一覧が貼り出されていく。私はその紙を見ながら、外線に答える。「いちばん近い避難所はどこですか」。私は地図を広げ、その人の町名から最寄りの開設済みの一か所を読み上げる。まだ開いていない避難所を案内してはいけない。それだけは間違えられない。

台風の夜にいちばん多い問い合わせは、土のうと、川だ。土のうは「どこでもらえますか」が大半で、私は配布場所の一覧——市内三か所の備蓄ステーションと、その夜だけ開ける土木の車庫——を伝える。川のほうは、もっと難しい。「家の前の川の様子はどうですか」「見に行ってもいいですか」。この問いには、私は決まった順番で答えることにしている。まず、「見に行かないでください」から始める。

増水した川を見に行って流される人が、毎年いる。だから私は、相手が何を訊いても、最初に「見に行かないでください」と言う。それから、市のサイトの水位情報の見方を伝える。本部に上がっている観測値があれば、それを読む。「いま、氾濫注意水位です。危険水位ではありませんが、上がっています」。電話の向こうの人は、たいてい黙る。見に行きたい気持ちと、見に行くなと言われた言葉のあいだで、黙る。私はその沈黙を待ってから、もう一度言う。「家の中にいてください」。

夜が更けると、停電の電話が増える。「うちの地区、さっきから電気が来ません」。停電は電力会社の管轄で、市役所にできることは多くない。それでも私は、当直室の壁に貼った停電地区の地図に、聞いた町名を書き込んでいく。本部が電力会社と連絡を取るための、ただのメモだ。けれど書き込むたびに、地図の上で町が一つずつ暗くなっていくのが分かる。窓の外の町も、本当に一区画ずつ消えていく。私は明かりの点いた庁舎の中で、それを見ている。

夜の電話は、不安の電話だ。まだ何も起きていない、起きるかもしれない、という電話。それが、夜が明けるころに変わる。風が抜けて、空が白んでくると、電話の質が変わるのだ。朝の電話は、実害の電話になる。「裏の土手が崩れた」「車が水に浸かった」「屋根が飛んだ」。不安が、被害に変わる。夜のうちの問い合わせが嘘のように静まって、代わりに、起きてしまったことの電話が鳴り始める。

台風一過の朝、引き継ぎは長い。普段の当直日誌は数行で済む。けれど台風の朝は、引き継ぎ書が何枚にもなる。受けた電話、開設した避難所、本部に上げた被害、停電の地区。日勤の職員が次々に出てくる中で、私は一枚ずつ説明していく。夜の電話と朝の電話の違いが、この仕事の全てなのだと、私は引き継ぎ書を渡しながら思う。不安を聞き、実害につなぐ。台風の夜の当直とは、その境目に立つことだったのだ。明けた空はよく晴れていて、私は濡れた駐車場を横切って帰る。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

辛口レビュー →
第二稿(改稿版)→
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。