よその、牛舎(第二稿)
酪農ヘルパー一年目、自分のやり方を捨てた日

ウラカワセナ(29歳・酪農ヘルパー7年)

酪農家は、牛がいる限り三百六十五日休めない。朝晩の搾乳も、餌やりも、一日も欠けない。その人が冠婚葬祭で家を空けるとき、寝込んだとき、年に数日の休みを取るとき、代わりに牛舎へ行って搾って与える。それが酪農ヘルパーだ。組合に入って七年、私はよその牛舎ばかりを回ってきた。

二〇一九年、二十二歳。研修の初日、私は前の実習で覚えた手順で餌を配り始めた。先輩はミルカーを外す手を止めずに、こちらを見ずに言った。「自分のやり方を持ち込むな。その牛舎のやり方を写せ。牛はいつも通りが一番なんだ」。叱られたのではなかった。私の手順が速いか遅いかの話ですらなかった。

どの牛舎にも、引き継ぎノートがある。農家がヘルパーのために書き残したものだ。餌の順番、搾る順番、気をつける牛の癖。「3番、後肢を上げる。声をかけてから触ること」。「7番、配合を先にやらないと隣を蹴る」。一冊に、その家が一頭ずつと積み上げてきた付き合い方が、全部入っている。私の手順より先に頭へ入れるべきは、これだった。

初めて一人で任された牛舎は、搾乳機の真空が抜けるのが遅く、ミルカーを外すときに爪で弁を押さえないと乳が垂れた。型を見たのは初めてだった。戸を開けると、つながれた牛が首をこちらへ回した。知らない人間が入ってきたのを、一頭、また一頭が確かめている。ノートの一行目は「最初は5番から。気が短いので待たせない」。私はまず5番の前に立った。

5番は耳を私のほうへ伏せていた。警戒だ。急げば蹴り、ためらえば不安がる。ノートにある通り、声を先にかけ、肩に手を置いてから前へ回った。配合を桶に落とすと、伏せていた耳が前に戻り、首を下げて食べはじめた。私のやり方ではなく、5番が毎朝知っている順番を、私はなぞった。三番目に搾った牛の乳房に、ノート通り少し張りがあった。書いてある癖は、本当だった。

別の牛舎にいた夜、農家から電話が来た。「一頭、産まれそうだ。立ち会ってくれ」。分娩はノートに書ききれない。そこにいる者が、その場で決めるしかない。足が先に二本出て、向きを確かめ、陣痛に合わせて引いた。明け方、子牛が濡れたまま立ち上がろうとして二度倒れ、三度目で立った。電話の向こうで農家が「助かったよ」と言った。それだけだった。

帰り際、私は牛舎に向かって頭を下げる。三百六十五日のうちの、数日。その数日を預かって、また鍵を返す。

七年で回った牛舎の数だけ、よその朝の順番を覚えた。自分の牧場はまだ持っていない。覚えているのは、自分のやり方ではなく、5番の伏せた耳が前に戻った一瞬のほうだ。今日もどこかの戸を開けて、首を回す牛たちに見られながら、その家のノートを開く。一行目から。

← 第一稿
辛口レビュー
← シリーズ目次に戻る

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。第一稿への辛口レビューを経て書き直した第二稿です。