ウスダマコト(44歳・生コンプラント出荷管理22年)
橋の床版の打ち替えは、新築の出荷とは段取りが逆だ。型枠へ流すのではない。傷んだ床版を削り取って空いた窪みへ、新しいコンクリートを詰める。注文書の配合に、見慣れない二語があった。早強と低収縮。早く強度を出し、固まるときに縮ませない。縮めば古い床版との境目に隙間が空いて、また水が入る。余白に設計者の赤字。「夜間通行止め・規制内打設」。
現場の打ち合わせに、点検報告書を書いた本人が来た。ナルセケンゴさん、四十九歳。橋を叩いて傷を探す点検士で、この道二十二年だという。私が生コンを出してきたのと同じ年数を、彼はハンマーで橋を叩いてきた。挨拶は短かった。彼は図面を広げ、私は配合表を出した。
図面には、床版の上にいびつな囲みがいくつも引いてあった。「ここが剥離です」とナルセさんが言った。叩いて、音の濁るところを囲ったのだという。濁れば、中で鉄筋とコンクリートが離れている。私は自分の指示書と見比べた。打設する範囲と量を計算した私の図と、彼が叩いて囲った図が、同じ形をしていた。彼のハンマーの音が、私の配合指示の輪郭になっていた。
段取りを数字で組む。規制は二十二時から翌朝五時。仕上げと開放点検に一時間半要るから、打ち終えは三時半が尻だ。打設は五時間半。早強を頼んだのは、五時の開放までに車が通れる強度を出すためだ。練ってから九十分の便を、二十分間隔で入れる。一台でも遅れれば、九十分の時計と五時の規制解除が、同じ一台の上で同時に切れる。私はその表を、配車の紙に分単位で引いた。
ミキサー車が橋の上に着く。ポンプで上げて、鉄筋のむき出した窪みへ流し込む。足裏に、橋桁の振動が伝わってきた。規制帯の赤いパトライトが、削り跡の濡れた断面を一定の間隔で舐めていく。ナルセさんは少し離れて見ていた。打ち込まれる面ではなく、新しいコンクリートと古い床版が接する線を、目で追っていた。次に自分が叩く線だ。彼は「ここを次に叩くのは、五年後ですね」と言った。
最後の便が四十分前に上がった。仕上げて、五時の十五分前に橋を空けた。九十分も、規制解除も、どちらも割らずにくぐった。撤収しながらナルセさんと並んだ。「うちのは九十分で死にます」と私が言うと、彼は「こっちは五十年もたせる」と返した。それ以上は言わなかった。九十分の紙と、五年後の予定。私たちは別々の紙に、別々の時刻を書いて帰る。
夜明け前に車に乗った。固まり始めたコンクリートは、もう私の手を離れて、橋の側の時間に入っていった。私が分単位で詰めた一晩の窪みを、これからは年単位で誰かが見ていく。五年後、この床版を叩きに来るのはナルセさんだ。彼のハンマーが、私の打った面で濁らないこと――それが、私の九十分の答え合わせだった。答えは、五年後に出る。