「この先渋滞」を、出す
オペレーター一年目、無言の正確さを覚えるまで

ウスイマコ(39歳・道路管制センターオペレーター15年)

道路情報板に表示できる文字数は、限られている。一枚に出せるのは多くて二行、一行あたり数文字。その枠の中で、何キロ先の何を、走っている人に伝える。私の仕事は、渋滞を文字にすることだ。もう十五年、モニターの前に座っている。

管制室の壁には、路線図をかたどった大きな盤面がある。感知器が路面の下に埋まっていて、車の速度を拾ってくる。時速八十が緑、四十が黄、二十を切ると赤。私たちは渋滞を、距離でも台数でもなく、まずモニターの上の色で見る。赤がじわりと伸びていくのを、誰よりも先に見ているのが、この部屋の人間だ。

二〇一一年、私は二十四歳で、この仕事の一年目だった。深夜に近い時間帯、本線の一区間で、緑だった帯が黄に変わり、そのうしろから赤が点りはじめた。教育係の先輩は別の卓で電話を取っていて、私の卓の盤面は、私が見ていた。CCTVのカメラを、その地点へ切り替える。画面が、止まったテールランプの列に変わった。

表示文言には定型のリストがある。「この先渋滞」「渋滞 ○km」「事故 走行注意」。自由に文章を書けるわけではない。限られた文字数の中で誤解なく伝えるために、言葉はあらかじめ削られて、決められている。私はリストの中から「この先渋滞」を選び、その下に距離を入れる欄を見た。感知器のデータでは、赤の帯はおよそ三キロ。だが、まだ伸びている途中だった。

「渋滞 3km」と「渋滞 5km」は、ドライバーにとって別の情報だ。三キロなら多くの人はそのまま進む。五キロを超えると、次のインターで降りようと考える人が出てくる。表示の数字ひとつが、何百台の車線の選び方を、静かに変えていく。私は迷った。いま三キロだが、表示が走る人の目に届くころには、五キロになっているかもしれない。先輩の電話は、まだ終わらない。

事故やトラブルの第一報から、情報板に文字が出るまでには、いくつもの手順がある。感知器を見て、カメラで確かめて、文言を選んで、表示を承認する。慣れた人なら数分。一年目の私には、その数分が、ずいぶん長く感じられた。窓のない管制室は昼も夜もなく、ただモニターの光だけが、淡く室内を照らしていたように思う。私は「この先渋滞 3km」を選び、承認のボタンに指を置いて、押した。

表示を出すより難しいのは、消すタイミングだ。赤が黄に戻り、黄が緑に戻っても、すぐには消さない。車が流れはじめても、本当に解消したのか、感知器とカメラの両方で確かめる。早く消しすぎれば、まだ渋滞の尻尾に突っ込む車がいる。遅ければ、もう流れている道に「渋滞」の文字が居座る。あの夜も、赤がすっかり緑に戻るのを見届けてから、私は表示を消した。たぶん、ほんの少し、消すのが遅かった。

情報板に礼を言う人は、いない。渋滞をうまく避けられた人は、表示のことなど覚えていない。けれど表示が遅れたときだけ、苦情の電話が鳴る。「なぜ出さなかった」「もう抜けたぞ」。正確さは無言で、遅れだけが声になる。それがこの仕事だと、一年目の私は、あの夜にうっすら気づいたのだと思う。

あれから十五年、私はモニターの上の色の観察者になった。緑が黄になり、黄が赤になる、その兆しを誰より早く見る人間に。数えきれないほど「この先渋滞」を出し、そのほとんどを誰にも気づかれずに消してきた。無言の正確さが、私をいまの私にしてくれたのだと思う。今日も路線図の上で、色は静かに移ろっている。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。