ウタガワヒビキ(45歳・小型機の航空整備士23年)
飛行機にも、飛べない日がある。整備士の仕事は飛ばすことだと思われがちだが、本当は、飛べない機体とどう向き合うかという仕事でもあるのだと、いまでは思う。部品が来ない。ただそれだけのことで、翼を休めた機体は、格納庫の真ん中で静かに眠り続ける。
小型機の部品は、たいてい海の向こうにある。国内に在庫のない部品は、メーカーへ発注し、取り寄せになる。納期の連絡が来る。メールの文面はそっけない。Estimated lead time、見積もりの納期、数週間。その数字を読むたびに、私は少し息が詰まる思いがする。数週間。機体にとっては、長い眠りの宣告だ。
AOG、という言葉がある。Aircraft on Ground——地上にある航空機。飛べずに止まっている機体を指す業界の言葉だ。飛べない機体は、ただ場所を取るだけではない。オーナーの予定を止め、私の段取りを止め、格納庫の空気を少しだけ重くする。私はオーナーに経過を報告する。「部品待ちです。あと二週間ほど」。電話の向こうの沈黙が、機体の眠りと同じ重さで、私の耳に届くのだった。
素人はよく言う。似た部品で代用できないのか、と。できない。航空部品の世界に「似た部品」は存在しない。形が同じでも、材質が、製造ロットが、強度の証明が違えば、それは別の部品だ。一つ一つに認証の番号がついている。Part Number と Serial Number。その番号が、設計図とつながり、試験成績とつながり、最後に私の署名とつながる。番号のない部品を付けることは、名前のない人間を機体に乗せるようなものだ。
待つあいだ、ただ待つわけではない。部品が来たその日に一気に付けられるよう、周辺を先に整えておく。交換する部位の周りを開け、古い部品を外せるところまで外し、ボルトの当たり面を磨いておく。来たら付けるだけ、という状態を作る。待ち時間というのは、本当は準備の時間なのだ。私はその段取りを組むのが、嫌いではないのだと思う。
そして、貨物番号の確認が日課になる。発注した部品には、追跡番号がつく。私は朝、格納庫に着くとまず、その番号を打ち込む。出荷、通関手続中、輸送中、経由地着。海を渡り、税関を抜け、国内の集配を経て、こちらへ向かってくる。地球の裏側から来る小さな金属が、いまどのあたりを旅しているのか。私は毎朝、その旅を見守っていたように思う。
箱が届く。署名して受け取り、開封する。何重もの緩衝材、密封袋、乾燥剤。その奥に、思いのほか小さな部品が一つ、収まっている。手のひらに乗る金属の塊。だが、添えられた請求書の桁を見ると、その小ささと釣り合わない。重さと値段が、まるで噛み合っていない。この小ささに、なぜこれほどの値がつくのか。私はしばらく、その意味を考えていた。
取り付けは、あっけない。あれほど待ったのに、いざ部品が手元に来れば、作業そのものは一時間で終わる。先に段取りを整えておいたから、迷う場面もない。ボルトを規定値で締め、ワイヤーロックを掛け、署名する。数週間の待ちが、たった一時間の作業で閉じる。長く待った分だけ、終わりは静かだった。
機体は、また飛べる体に戻る。翼を休めていた機体が、ようやく目を覚ましたように、私には見えた。待つのも、整備の一部なのだ。海を渡る数週間も、毎朝の貨物番号も、小さな金属を待つ日々も、すべては、この一機をふたたび空に返すためにあった。今日も、いつものボルトに手を置く。冷たい。部品は、もう届いている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。