ウタガワヒビキ(45歳・小型機の航空整備士23年)
年に一度、耐空証明の検査がある。世間でいう車検のようなものだ。その週がくると、格納庫の空気が少し変わる。普段は飛ばすために点検しているが、その週だけは、飛ばすための資格そのものを問い直す。一年の集大成のような週で、私はいつも、少し背筋が伸びる思いがする。
初日は、カウルを全部開けるところから始まる。普段の点検では覗かない場所まで、その週はすべて開ける。エンジンを覆う金属の蓋を外し、配線の束を一本ずつ目で追い、燃料系統の継手に手をかける。光を当てると、普段は見えない奥の隅に、薄く埃が積もっているのが見える。一年ぶりに陽の当たる場所だ。私はそういう場所を見るのが、嫌いではないのだと思う。
書類の山も、この週の仕事だ。整備記録は一機につき一冊、いや何冊にもなる。いつ、誰が、何を交換し、何を点検したか。その通史を、検査官に渡せる形に整えていく。一機の履歴書のようなものだ。ページをめくると、十年前の自分の署名が出てくることもある。あのころの私は、まだ若かったのだなと思ったりする。
検査官が立ち会う日がいちばん緊張する。彼らは黙って機体の周りを歩き、ある場所で立ち止まって、指で一点を示す。「ここは?」。問われたら、即答できなければならない。いつ交換したか、規定値はいくつか、記録のどのページにあるか。答えに詰まれば、それは整備が曖昧だということだ。私は前の晩、想定問答を頭の中で繰り返していたように思う。
その年、検査官の指が止まったのは、操縦系統のあるブラケットだった。光を当てると、塗装の縁にわずかな膨らみがある。腐食だった。表面の塗膜の下で、金属が少しずつ膨れている。小さいが、見逃せない。検査官は何も言わず、私の顔を見た。私も何も言わなかった。見つかったものは、直すしかない。
部品を待つ日があった。腐食したブラケットは交換になり、発注した部品が届くまで、その機は飛べない。格納庫の真ん中で、カウルを開けたまま、機体は数日じっと待っていた。何もできない空白の日だ。私はその間、何度もその機の横を通り、開いたままの胴体を見ていた。待つというのも、整備の一部なのだろう。
部品が届き、交換し、再点検が通ると、最後に試験飛行がある。自分の整備した機体に、確認のために同乗する。地上で聞く音と、空で聞く音は違う。高度が上がり、エンジンの回転が安定したとき、私は座席の背に伝わる振動と、客室にこもる音を、地上とは違う耳で聞いていた。澄んでいた。あのブラケットも、もう膨れてはいない。
地上に戻ると、合格のステッカーが貼られる。次の検査までの、一年の有効期限が印字された一枚だ。小さなシールだが、貼るときはいつも、少し重い。この一枚が、これから一年、この機が空にいてよいという証になる。私はその期限の数字を、しばらく見ていた。
検査が終われば、格納庫はいつもの整備に戻る。翌朝、私はまた普段のチェックリストを手に取り、普段の場所に手を置く。耐空検査の週が、一年の答えなのだ。すべての隅を開け、すべての履歴を整え、すべての問いに答えた——その週があるから、私は残りの三百五十八日を、安心して点検していられる。今日も、いつものボルトに手を置く。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。