ウツミリク(38歳・さく井職人16年)
掘っても水が出ない日がある。金をもらって掘って、出ない。だから掘る前に、施主に契約書を一行ずつ読み上げる。成功報酬の現場では、こう読む。「所定の深度に達しても出水なきときは、費用を請求しない」。私が「請求しない」まで読むと、施主はたいてい、判子を押す手を一度止める。出ないことがある、という一行を、私はそこで先に渡しておく。
出来高ならば、掘った深さの分だけ施主が払う。出なくても払う。成功報酬なら、出なければ私たちは一円も取らない。どちらにするかは施主が選ぶ。だが選ぶための材料――この土地で出る見込みがどれくらいか――は、私が紙に書く。期待を多く書けば、施主は成功報酬を選びたがる。だから見込みは、出る側にも出ない側にも傾けずに書く。掘る前の説明で、この仕事のほとんどは終わっている。
掘りはじめると、施主は電話をかけてくる。スライムが湿ってきたと私が口を滑らせれば、向こうは身を乗り出す。「出そうですか」。ここで「あと十メートルで出るかもしれません」とは言わない。言えば、施主はその十メートルに賭ける。出なかったとき、裏切ったのは土ではなく、私の口になる。私は「いま、砂礫が少し湿ってきました。出るかどうかは、もう少し下を見てから言います」と言う。それ以上は言わない。
その夏の現場は、予定の深度を越えても、上がってくるのは指を逃げる乾いた砂礫ばかりだった。私は撤退の見積もりを書いて、施主の家の台所で広げた。麦茶のコップを脇にどけて、追加であと二十メートル掘る費用の数字を指で押さえ、その横の、出る見込みの欄を指で押さえた。見込みの欄には、低い、としか書けなかった。おばさんは二つの数字を交互に見ていた。窓の外で、回しっぱなしの井戸用ポンプが、空気を噛んでからからと鳴っていた。それが止まるまで、おばさんは黙っていた。それから「分かりました」と言った。
出なかった孔は、埋め戻す。開けたままなら、地表の水が地下へ落ちる。掘り屑と粘土を詰めて、地面を元に戻す。出た現場でも、出なかった現場でも、詰める土は同じ土だ。ただ、出なかった孔に土を落とすと、跳ね返ってくる手応えがない。水を含んだ層なら、最後にこぽりと音が返る。乾いたままの孔は、土を飲んでも、何も返さない。
数年して、その現場から二百メートルの所で、別の業者が水を出したと聞いた。私はノートを開いた。あの夏のページに、深度三十二メートル・乾燥砂礫・下層湿り気なし、と書いて、横に「川筋から東へ外れているか」と自分で書き足してあった。外れている、と私はあのとき疑い、撤退を勧めた。別業者が当てたのは、その川筋の上だったのかもしれない。けれど、もう掘り直せない。地下は、答え合わせをさせてくれない。ノートのその一行だけが、いまも東を指したまま残っている。
涸れた古井戸の深掘りを頼まれることもある。昔は出ていた井戸の底が、いまは乾いている。水位が下がったのだ。もう少し下まで追えば、水が戻ることがある。死んだ井戸が、また鳴る。外れた予想のノートを繰っていると、こういう井戸の読みだけは、なぜか速くなる。当てた現場のページは、めくる手が覚えていない。東を指した一行のほうは、目をつぶっても開ける。
掘る前に契約書を読み上げ、途中で十メートルを売らず、台所のポンプが止むまで待ち、ノートに東と書く。出した井戸の数は、もう覚えていない。覚えているのは、土を飲んでも何も返さなかった孔と、東を指した一行だ。地下は、いまも答え合わせをさせてくれない。次の現場でも、私はまた、出ない一行から書きはじめる。