ウツミリク(38歳・さく井職人16年)
地面の下に水を探して掘る仕事を、十六年やってきた。さく井という。井戸掘りと言ったほうが早い。ボーリングマシンで地層を掘り進む。出るか出ないかは、最後は土が決める。それを覚えるのに、最初の一年がかかった。
掘ると、ロッドの先から泥水と一緒に土が上がってくる。スライムと呼ぶ。手のひらに受けて、色と粒を見る。茶色く粘りつくのは粘土層、ざらりと指の腹を逃げていくのは乾いた砂礫層だ。水を含んだ砂礫は違う。冷たくて、握ると手のひらに形がしばらく残る。目より先に、手が分かる。
二〇一〇年の春、二十二歳でこの会社に入った。最初に親方から渡されたのは、スコップでもヘルメットでもなく、一枚の地形図と、色の褪せた古地図だった。「水は探すな」と親方は言った。「水の通り道を探せ。山の形と、昔の川の跡が教えてくれる」。
親方は地形図の等高線を指でなぞり、それから古地図の、いまは道路になっている一本の筋を指した。昔ここに川が流れていた跡だという。「水は低いほうへ、低いほうへと、地面の下を通っていく。何百年もかけて道を作る。その道の上に立てば、水は下にいる」。地面の下に川がある。掘る前に、まず図面の中を掘るのだと、その日に知った。
図面通りに立てても、水はそう簡単に出ない。ある日、朝から掘って昼を過ぎても、上がってくるのは乾いた砂礫ばかりだった。深く掘るか、場所を変えるか。掘れば金と時間がかさむ。動かせば、それまでの孔が無駄になる。親方は上がってくるスライムを手に受けては黙っていた。やがて、砂礫の粒が少し細かく、湿りはじめた。親方はそれを指で潰して、「もう三メートル」と言った。図面の川筋は、たしかにこの真上を通っていた。
その三メートルの先で、握った砂礫が形を残した。冷たかった。それからしばらくして、孔の口から濁った水が噴き上がった。最初の水は必ず濁る。砂と泥を巻き込んで、茶色く吹き上がる。澄んだ水を思い描いていた私は身構えたが、親方は濁りを見て初めて笑った。汲み続ければ、水はやがて澄む。濁りこそが、当たった証だった。
水が出れば終わり、ではない。揚水を続けて澄ませ、水質を検査に出す。飲める水か、畑にやれる水か、結果が出るまでは喜べない。私たちは数日、待った。検査を通った井戸の前で、依頼主の農家のおじいさんが、ぽつりと言った。「これで畑が生きる」。それだけだった。
あれから十六年。掘った井戸の数も、出した水の量も、もう覚えていない。覚えているのは、手のほうだ。乾いた砂礫が指を逃げていく感触と、水を含んだ砂礫が手のひらに残す、あの冷たい形。土は、いまも手が先に読む。