ワキサカユタカ(43歳・文具メーカー営業20年。十四歳のとき、ノートの最後のページにバンド名だけを書いていた)
木曜の夜、風呂から上がった娘が、髪を拭かれながら言った。「きょうね、どうとくで、せかいのおわりやったよ」。小学三年生の口から、世界の終わり、という言葉が、宿題やプールの持ち物と同じ調子で出てきた。聞き返すと、バンドの名前だった。SEKAI NO OWARI。先生が教室で曲を流したのだという。「天使と悪魔」という曲だった。
私がこのバンドの名前を初めて見たのは、二十代の終わりだった。CD屋の新譜の棚に「世界の終わり」とあって、ずいぶん大きく出たな、と思った。正直に言えば、少し笑った。それは、中学生がノートの最後のページに書く種類の名前だと思ったからだ。なぜそう思ったかというと、私自身が、十四歳のとき、そういうノートを持っていたからだ。バンドは組んでいない。楽器もなかった。メンバーもいなかった。名前だけが、ノートの最後のページに、ローマ字で書いてあった。
授業の中身を、娘は夕食のあいだに報告してくれた。先生は曲を流したあと、「天使と悪魔は、見た目で見分けられますか」と聞いたらしい。手を挙げた子たちの答えは、つのがあるから分かる、はねの色がちがう、こわい顔をしている、だった。三年生の教室の、正しい答えだと思う。娘は手を挙げなかった。挙げなかった理由を聞くと、「ちがうこと、かんがえてたから」と言った。
ちがうこと、の中身はこうだった。「あのうたはね、おとなが、ただしいことのために、けんかするうたなんだよ」と娘は言った。「でもね、けんかは、天使と悪魔がするんじゃないの。じぶんが天使だとおもってる人と、じぶんが天使だとおもってる人が、するの」。私は味噌汁の椀を持ったまま、止まった。娘は続けた。「じぶんのこと悪魔だとおもってる悪魔は、いないでしょ。だから、悪魔をさがしても、見つからないんだよ」。どこでそれを習った。どうとくのじかん、と娘は言った。
私が十四歳のとき、世界の終わりは、隠すものだった。ノートの最後のページに書いて、誰にも見せなかった。見つかれば恥で、口にすれば笑われた。ヘッドホンの中と、ノートの最後のページにだけ、世界の終わりは住んでいた。それがいまは、黒板に書かれ、プリントに刷られ、「かんそうをかきましょう」という枠の中に座っている。いい時代になった、と思う。思いながら、自分の隠し場所が取り壊される音も、聞いた気がした。
食後、私は娘に白状した。お父さんも中学生のとき、バンドをやろうとして、名前だけ決めていた。世界が終わるみたいな名前を、ノートの最後のページに書いていた。かっこいいと思っていた。娘は、ばかにしなかった。代わりに、こう言った。「せかいのおわりって、なまえにできる人は、まだおわってない人だけだよ。ほんとうにおわってる人は、なまえをつけてるひまが、ないもん」。それから、「さきにじぶんで、おわりっていっちゃえば、ほかの人にいわれなくて、すむんだよ」。私の十四歳が、三十年ごしに、食卓で解剖された。あれは虚勢ではなく、保険だったのだ。
娘が寝たあと、私はイヤホンを差して、初めてちゃんと「天使と悪魔」を聴いた。正義という言葉が、何度も出てくる歌だった。十四歳の私が聴いたら、歌詞をノートに写しただろう。四十三歳の私は、サビで一度だけ、巻き戻した。
翌朝、考察の続きを聞くつもりで食卓についたら、娘はもう別の場所にいた。「ねえ、きょうずこうで空きばこいるの。ティッシュのはこ、すてないでっていったよね」。それから、「けんばんハーモニカのホース、あらっといて。すいようびにいるから」。世界の終わりの解剖は、五時間目で終わっていた。私は流しで、けんばんハーモニカのホースを洗いながら、世界は、たぶん、こういうふうに続いていくのだと思った。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。