ワクイソラ(31歳・熱気球パイロット9年)
予約を受けるとき、私は先に言うことにしている。「この季節、二回に一回は飛べません」。半分は飛ばない。九年の手帳を数えると、本当にそれくらいだ。気球が飛べる風は、針の穴ほどしかない。だから客と私のあいだの最初の約束は、飛ぶことではなく、飛ばないかもしれないことだ。
夜明け前、いちばん暗い時刻に風速計を見にいく。地上で秒速三、四メートルを超えれば、もう着陸が荒くなる。今朝の数字は二・八。問題ない、はずだった。私はゴム風船にヘリウムを詰めて手を離す。パイバル、試験気球だ。風船は低いうちはまっすぐ昇り、マンションの五階ほどの高さで、ためらってから横へ滑り、双眼鏡の中で指三本ぶん、みるみる流れていった。地上は凪いでいる。上だけが、走っている。
双眼鏡を下ろす。地上の風速計はまだ二・八のままだ。けれど私が見たのは数字ではなく、いま空に書かれた一本の線だった。あの高さに気球を入れれば、着陸地点を選ぶ前に、林の向こうまで持っていかれる。私はストップウォッチを切る。風船が横へ流れ出すまで、十一秒。その十一秒が、今朝の答えだった。
携帯を取り出す。今朝の予約は、三十五回目の結婚記念日の夫婦。半年前に電話をくれて、奥さんがずっと気球に乗りたかったのだと、旦那さんが照れながら言っていた。私は番号を押す。地上の風はこんなに静かなのに、これから告げるのは、飛べません、だ。「上空の風が、強くて」。受話器の向こうで、息が止まる。「そうですか」。それだけ言って、電話は切れた。「また来ます」は、なかった。
膨らませなかった気球を、車へ積み直す。畳んだままのエンベロープ、火を入れなかったバーナー、空っぽの籠。順番は決まっている。籠を倒し、バーナーフレームを外し、エンベロープのバッグを先に載せて、その上に籠を重ねる。九年で、手が勝手に動く。膨らませた朝より、膨らませなかった朝のほうを、私の手は多く覚えている。
飛ばさなかった空の正解を、私は一生知ることがない。あの十一秒で本当に危なかったのか、それとも二十分待てば上の層もおさまって、夫婦は雲海の上で三十五年目の朝を見られたのか。飛ばなければ、答え合わせはできない。飛んでしまえば、もう取り返しがつかない。中止の判断には、後日談がない。私はいつも、起きなかったほうの朝を抱えて帰る。
積み終えて顔を上げると、空が晴れていくところだった。パイバルが横へ流れたあの高さも、いまは見た目には何も起きていない。雲ひとつなく、朝日が稜線から昇り、青がひといきに広がっていく。客がいたら、こんなに晴れているのに、と言っただろう。晴れは関係ない。基準は風だけだ。けれどその説明を、こんなに青い空の下で誰にすればいいのか、私にはまだわからない。私は車に寄りかかって、しばらく、その青を見ていた。
次の予約の客には、また先に言うのだろう。二回に一回は飛べません、と。半分は、この朝のように車へ積み直して帰る。空に憧れて始めた九年で、私がいちばん上達したのは、たぶん、飛ばさないことだ。風速計は、二・八のままだった。