ワクイソラ(31歳・熱気球パイロット9年)
熱気球に舵はない。横へ動かすハンドルは、どこにもついていない。できるのは上昇と下降だけだ。それでも気球は前へ進む。空には層があって、地表近くの風と二百メートルの風と五百メートルの風は、別々の方角へ吹いている。行きたい方角の風が吹く高さまで昇る。高さが、方向なのだ。
二〇一七年、二十二歳の春に係留とフリーフライトの会社に入った。初めての夜明け前、教官が小さなゴム風船を私に持たせた。パイバル、試験気球だ。ヘリウムを詰めて手を離す。風船は低いうちは南へ流れ、マンションの五階ほどの高さで、つっかえたように向きを変えて、東へ滑り出した。双眼鏡の中でゴマ粒になり、やがて見えなくなった。
教官は言った。「気球にハンドルはない。あるのは高さだけだ。風の層を読め」。その朝の風の層は、二百メートルで真南、五百メートルで真東。ちょうど九十度違っていた。決められるのは上下だけ。なのに、その上下で行き先が変わる。決められないことの真ん中に、決められる一本が通っていた。
バーナーは、ひもを引いてすぐには利かない。炎を入れても、気球が浮き上がるのは三十秒ほど遅れてからだ。だから下降を止めたい地点の、ずっと手前で焚く。今のためではなく、三十秒先のために焚く。この三十秒を、私は最初の着陸でしくじった。
初めてチェイスを兼ねて乗った日、風は私を収穫前の畑へ運んでいった。手前に農道があった。あの道まで延ばせれば人の畑に降りずに済むと気づいたとき、私はとっさにバーナーを焚いた。けれど気球が応えたのは三十秒後で、浮き上がったときには、もう畑の真上を過ぎていた。焚くのが三十秒遅かった。籠は畝の間に着いた。
軽トラで地主の方が出てきた。私は籠から飛び降りて頭を下げた。チェイスカーの無線が「いま見えた、そっち行く」と鳴っていた。地主の方は怒りもせず、まだ何も植わっていない畝を指して、ここなら、と言ってくれた。気球は降りる場所を選べない。私たちにできるのは、降りた先で頭を下げることと、三十秒早く焚けなかった自分を覚えておくことだけだった。
観光フライトの朝、バーナーが炎を吐く合間に、ふっと音が消える瞬間がある。風と同じ速さで動いているから、頬に風が当たらない。そのとき聞こえるのは、籠を吊るワイヤーが体重で小さくきしむ音と、自分の呼吸と、地上の集落から遅れて届くラジオ体操の音楽だった。お客さんが「風がないですね」と言う。私は何も答えず、次に焚く高さのことを考えていた。
九年たった。風を相手に九年やって、ハンドルが増えたわけではない。いまも私にあるのは、上と下、それだけだ。あの畑の三十秒は、まだ手のなかにある。