二十二歳、先輩の話を遮った日
名古屋の機械メーカー、入社一年目の七月

ワタナベ(65歳、元会社員、名古屋在住)

あの日、私は二十二歳だった。入社一年目の七月、名古屋の空は容赦なく照りつけ、アスファルトの匂いが鼻についた。真新しいスーツはまだ体に馴染まず、どこか借り物のような頼りなさを感じていた。先輩のヤマモトさんに同行し、三河の工場へと向かう車中、緊張で手のひらには汗が滲んでいた。

ヤマモトさんは、いつも穏やかな物腰の人だった。商談も、常に相手の言葉に耳を傾け、ゆっくりと、しかし確実に話を進めていく。その日も、工場の社長を前に、訥々とだが的確に、こちらの提案を説明していた。社長は腕を組み、時折大きく頷くものの、その表情は読み取れなかった。

商談が中盤に差し掛かった頃、私の頭の中に、ふと別のアイデアが閃いた。若さゆえの浅はかさ、あるいは、手柄を立てたいという焦りだったのかもしれない。ヤマモトさんの言葉を遮って、私は思わず口走った。「社長、こうするのはどうでしょうか」と。場の空気が一瞬で固まったのを、肌で感じた。

工場の社長は、表情ひとつ変えなかった。ただ、私の目を見て、静かに「うん」とだけ言った。その声には、何の感情も含まれていないように聞こえた。ヤマモトさんも、黙って私と社長のやり取りを見守っていた。結局、その日の商談はまとまらなかった。

帰り道のタクシーの中は、重い沈黙に包まれていた。ヤマモトさんは助手席で、ずっと窓の外を見ていた。流れる景色を追うその横顔から、私は何も読み取ることができなかった。一言も話さないヤマモトさんの隣で、私はただ、自分の軽率な行動を後悔するばかりだった。名古屋へ向かう高速道路の白いラインが、果てしなく続いているように見えた。

翌朝、私は便箋を取り出した。拙い字で、社長宛とヤマモトさん宛に、二通の詫び状を手書きした。昨晩からずっと考え続けていた言葉を、何度も書き直した。朝一番で出社し、ヤマモトさんに「これを」と差し出した。彼は無言でそれを受け取り、社長の元へ届けてくれた。だが、商談は結局、戻らなかった。

あの夏の、名古屋から三河までのタクシーでの沈黙が、私に『黙る』ことの意味を教えてくれた。言葉は、時に場の空気を壊し、修復不可能な亀裂を生む。発する言葉の重み、そして言葉を発しないことの重みを、私はそれから四十年、肌身離さず覚えてきた。

去年のことだ。定年退職するヤマモトさんの送別会が開かれた。酒が入り、皆が陽気になった頃、私は意を決して、あの日の手紙のことを切り出した。「あの時の手紙、本当はもっと早く渡すべきだったと、ずっと後悔していました」。私の言葉に、ヤマモトさんは目を細めて、笑った。「もう忘れていたよ」。

その笑顔は、どこか寂しげで、しかし温かかった。ヤマモトさんが本当に忘れていなかったことを、私はその笑い方で分かった。四十年前のあの日から、私は、人の話を遮らなかった。

——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。