ヤブキマドカ(35歳・空港保安検査員13年)
盆と正月とゴールデンウィーク。年に三度、検査場の列はいちばん長くなる。最後尾の札を持ったスタッフが、列の終わりを掲げて立つ。その札が、いつもならゲートの三十歩手前で見えるのに、繁忙期の朝はターミナルの柱の陰まで遠ざかる。私は立ち位置から首を伸ばして、札がどこまで下がったかで、今日の列の長さを測る。
列の進み方は、先頭の慣れで決まる。出張慣れした人が続くレーンは速い。ベルトはもう外してある。ノートパソコンは手に持っている。私が「ノートパソコンはお出しください」と言う前に、もうトレーに乗っている。年に一度しか飛行機に乗らない家族連れが続くと、列は止まる。父親がスマホをポケットに入れたままゲートをくぐって、電子音が鳴る。母親が子どもの靴を脱がせるのに手間取る。一組で、一分、二分。後ろの列は、その分だけ動かない。
急ぐ人のいらだちは、私たちに向かってくる。「まだですか」「遅いんですけど」。私はその声に、手を止めない。トレーを流す手はそのまま、目だけを上げて「もう少しです」と返し、次の人の靴に視線を移す。列の速度を決めているのは、検査員ではない。先頭の数組が慣れているか不慣れか、それだけで、後ろの何十人の時間が変わる。あなたを遅らせているのは、私ではなく、あなたの三人前の人だ。だが私はそれを言わない。言っても列は速くならない。言葉のかわりに、靴に移した目を、もう次の手元へ送る。
ピークが近づくと、私は列の組成を数える。数えるのはベビーカーの台数だ。三台見えたら、家族連れ用のレーンを一本増やすよう奥に合図する。ベビーカーは畳むのに時間がかかり、畳み方を知らない人が多い。台数が、止まりやすさの目安になる。スーツの単独客ばかりの列なら、台数はゼロで、レーンを絞っても流れる。私はリュックの数も、手に持ったパソコンの有無も見るが、いちばん正確に列の速さを言い当てるのは、ベビーカーの台数だ。
繁忙期の列には、その季節にしか流れない物が混じる。正月明けには、スキー板とブーツのケースがX線のレールいっぱいに横たわる。盆には、土産の紙袋が重なって、モニターの中で四角い影を作る。ゴールデンウィークには、子どもの水筒だ。中身が入ったままなら、液体物として弾く。先週流れてきた水筒は、側面のキャラクターのシールが半分剝げて、ストローの吸い口に歯形がついていた。「飲んでしまってください」。子どもがストローをくわえ、麦茶を飲み干す数秒を、私は次のトレーを流しながら待った。
ピークの時間帯には、交代が来る。一時間モニターに向かうと、目が影を追いきれなくなる。肩を叩かれて、私は列を離れ、奥で水を飲む。戻ると、列はまだ同じ長さで続いている。私が抜けた数分も、列は誰かの手で流れていた。一人の検査員が止まっても、列は止まらない。列を流しているのは、列に並ぶ人たち自身だ。
十三年、私は繁忙期の列を見送ってきた。いらだちをぶつけられた朝も、手は止まらなかった。中身は覚えない。覚えているのは、柱の陰まで下がった最後尾の札と、四角い土産の影と、歯形のついた水筒のストローだけだ。今日も私は、同じ言葉を言う。「ノートパソコンはお出しください」。そして目を、次の手元へ移す。